ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

訓練はまずグライダーからはじまる。霧ヶ峰(長野県)でやりました。10メートルくらい上がって、300メートル飛ぶんです。次は飛行機に引っ張ってもらって飛ぶ。でも私は飛行機乗りになれなかった。終戦になったから。飛んだのは私の先輩たちです。──予科練の7つボタンに憧れる若者は多かったのですか。皆そうでしたか。軍服姿が本当にかっこよかったんですよ。当時はそういうふうに見えたんです。予科練はそういう憧れで受ける人があったけれど、陸軍の少年航空兵の方は大変だったと思います。志願する人もあれば召しょう集しゅうされる人もいたようです。予科練爆撃で亡くなった友たち──櫻井さんが予科練を志願された理由は、7つボタンへの憧れ以外にもありましたか。ありますよ。国に尽くす気持ちです。国、国、国、その頃はなんでも国優先です。まずそれがあり、次が7つボタン。戦争に行こうという気持ちは、皆にありました。──社会の空気がそうだったということでしょうか。学校でも言われていました。とにかくこの戦争には勝たなければならない。それ1本です。誰もが国のために生きていました。──それを今、振り返ってどう感じますか。いや、私たちはあれで良かったんだと思います。皆がひとつになって、日本の国を助けよう、アメリカに打ち勝って国を守ろうと考えていました。負けるとは思っていません。大本営発表がすべてだから。皆、勝てると思っていました。女学生たちも女子挺てい身しんたい隊として鉄砲の弾など作っていました。そういう生活を皆が送っていた。今の時代に振り返ると、おかしいことなんですが。──なぜ、勝つと思っていたのでしょう。それはもう、吹き込まれていたから。憲けんぺい兵がいけませんね。最後の1人まで戦うと吹き込む人はいっぱいいました。東条さんなどは何度もやめようと提言していたようですが、軍隊のある一部が、最後の1兵まで戦うと言っていたんです。でも、それを押し通されたら日本人はいなくなってしまいます。──予科練は寮生活だったそうですが、食事はどうでしたか。良かったですよ。軍部ですからお米もちゃんと食べさせてもらいました。だからかえって、一般人に戻ってからが本当に大変。浮ふ浪ろう児じたちも見ていて本当にかわいそうだと思うのですが、自分たちが食べるものもないのでどうにもしてやれません。どうにかこうにか生き延びた思いです。──予科練は途中で辞められたそうですが。父からもらった肺病の菌が私のリンパ腺に移っていたようで、1年たって学校で検査すると、影が出たんですよ。それで、帰れと。1年陸軍省や参謀本部が置かれていた千代田区。国会前庭洋式公園には、陸軍参謀本部陸地測量部が行った国土測量の基準点を定めた「日本水準原点」が現存149未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊