ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

榎本そうです。アメリカはガソリンをゼリー状にする技術を開発したんです。ガソリンだけだったらだめですが、ゼリー状にすると安定する。長さが1メートルくらいの筒にガソリンをゼリー状にして詰めて、火薬を少し入れて落としたんです。しかも、焼夷弾は安く作れるからアメリカはばんばん作った。三村中に布が入っていて、それがくっついて燃えるんですよ。うちの近くに旧今川小学校があったのですが、学校が焼けてしまうと困るから、当時、強制疎開といって周囲の建物を壊していました。小学校の裏が金物通りで木造の家が20軒くらいありましたが、それを全部壊しました。私も手伝ったことがありますよ。家に切れ目を入れておいて縄を掛けて引っ張るんです。小林うちも旧千桜小学校のすぐそばですから、学校のまわりの強制疎開を見ていた記憶があります。三村うちが焼けたのは2月25日の空襲です。日曜日で雪が30センチメートルくらい積もっていました。髙野あの日は雪がすごかったわね。三村その前の年の大おお晦みそ日かに末広町が空襲を受けて、少し家が焼けたんです。お正月が来るのに気の毒だなと言っていたのですが、2月25日でしょう。いきなり昼間ですよ。2時頃かな。神田鍛冶町でも1丁目は日本橋に向かって中央通りがあるでしょう。あの左側が真っすぐやらいました。自分の家はなんとか消せても、後ろから火の手が上がるともうどうしようもないです。髙野油ゆし脂焼夷弾だったのよね。小林灯油をまくようなものです。──焼夷弾は日本の家屋用に作ったのですよね。と歴代天皇の名前を覚えること。髙野神じん武む綏すいぜいあんねい靖安寧…全部覚えさせられたわね。三村中学に行くと今度は軍人勅ちょく諭ゆを暗記させられる。箇条書きだけれど長いんですよね。今考えてみると、そういうのを覚えることで不平が出なかったんでしょうね。できないとひっぱたかれるから一生懸命やるでしょう。ほかのことなんかあまり考えられない。小林文句なんか言えませんよね。意見を言えないような世の中にしちゃった。それがいちばん怖いですね。教育勅語は、私も小学校に入って聞かされたけれど、訳が分からないから終わるとみんな鼻をすすっていました。あれは子供たちの小さな抵抗でしたね。三村今のようにまだ世論がいろいろ出るうちは平和な証拠ですよ。これがおさえられるようになると国は危ないです。2月25日の空襲は大雪だった──空襲のときのお話をお聞かせいただけますか。三村日本の空襲はほとんどが焼しょう夷い弾だん攻撃ですね。一部の工場地帯では爆弾が落ちたけれど、都市部だと爆弾よりも焼夷弾のほうが効果がある。爆弾は破壊して終わりですが、焼夷弾は火事を起こしてずっと燃やしてしまうんだから。当時は無差別爆撃だと言われましたが、とんでもない。ちゃんと碁ご盤ばんの目を引いて計画されて165未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記座談会