ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

宣言を受諾する方向になっているというビラを飛行機でまくのです。憲けんぺい兵からは、拾ったビラは全部提出するように言われていましたが、私はそれをこっそり取っておいて今でも残しています。友達から戦争が終わると聞いたときも、「あのビラはある程度、本当のことが書いてあったのかな」と思いました。人にはあまり言えなかったけれども。でもまさか、無条件降伏だとは思ってもみませんでした。──玉音放送を聞いてどう思いましたか。戦争が終わったと聞いても、信じられなかったです。自宅は焼けてしまっていたから学校近くの知人の家にいたのですが、それまで夜は灯あかりが漏れないよう電気に黒い布で傘をかけていたのを、15日の夜は「戦争が終わったらしいから、明るくしてもいいかもしれないな」「いや、分からない。危ないぞ」「じゃあ、ちょっとだけ明るくしようか」と、黒い傘を半分だけ上げました。本当に戦争が終わったのかどうか信用できない、そういう気持ちがあったのですね。そしたら翌朝、警戒警報が鳴るんですよ。「やっぱり、終わっていないんだ」と思いました。警戒警報のあとにB29が1機飛んできました。ところが、焼夷弾も爆弾も落とさない。何もせずにそのまま帰っていきました。つまり、偵察に来たのですね。B29を見たのはそれが最後でした。「ああ、これで空襲はもうないのかな。安心なのかな」と、その夜からは灯りの傘を全部上げました。「明るいねえ」とみんな笑顔で中学を卒業してからは法政大学の予科に7月から入学しました。学校のそばに軍需工場があって、午前中は11時半まで授業をやりました。英語の先生がいて、英語の授業もありました。軍需工場は学校から20分くらい離れていて、授業が終わると駆け足で向かいました。軍需工場へは1カ月半くらい行きましたね。終戦と聞いても安心できなかった──それで終戦を迎えたのですね。8月15日の玉ぎょくおん音放ほうそう送を聞いたときの様子を教えていただけますか。当日の朝、ラジオから「本日正午、天皇陛下の放送があります」と流れました。そのときは、「これはいよいよロシアと戦争するのかな」と思いました。でも、お父さんが丸の内警察署の署長をしている友達がいて、彼が「角田、戦争が終わるらしいぞ」と言うのです。「終わるってなんだよ」「よく分からないけど、終わるらしい」「じゃあ、中立条約かなあ」「そうかなあ」。そう言い合っていました。玉音放送は軍需工場の本社の前にみんな整列して、立ったまま聞きました。半分くらいしか聞こえませんでしたが、「堪たえ難きを堪え」という言葉は分かりました。「ああ、やっぱり戦争が終わるのだな」と思いました。でも、その前から街にはいろいろなビラがまかれていました。アメリカが、日本がポツダム衣料切符罹り災さい証明書40未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集