ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

第2部体験記疎開れて、皆で一緒に旅行にも行きました。同窓会を作ったんですが、そこにも毎年来てくした。戦後、「磐ばん友ゆう会かい」という疎開メンバーのよく描いてくれて、先生と同じくらいの本当20代に後仲半良でく、し僕てたもちらのい絵まも爆ができているのも分かっていました。引率のもらいました。彼はヨーロッパにいたから、原に逗とう留りゅしうていたんですよ。絵の描き方を教えてな画家です。会津の商家の生まれで、同じ旅館モード・セミナー」を主しゅ宰さいすることになる有名やがてスタイル画の第一人者として「セツ・出会ったそうですね。──画家の長沢昇のぼる(長沢節せつ)さんとも疎開先でがうまくなりましたよ。スキー大会にも出ました。疎開児童は皆、スキーにくくりつけて滑りました。猪苗代小学校での靴を編んで、水をぶっかけて凍らせてスキー板いし、長靴だって持っていません。それで藁わらでた。けれどスキー靴がない。革靴や運動靴もな冬は皆、頼んでスキー板を作ってもらいましりました。持って、白びゃ虎っこ隊たいの墓まで行き、全員で写真を撮す復。も13里を「うどうしようもないからとおにぎり1個行こう軍ぐん」と称して歩いたこともありまちも習ったりしました。猪苗代から会津まで往生はいい家の生まれで、能をやっていて、僕たもないから、毎朝振り回していました。川野先たって負けるに決まっています。でもやること会津若松の白虎隊の墓まで「行軍」した時の記念写真(前列左から5番目が中島さん)83未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集