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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:東紺屋町(ひがしこんやちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年2月12日
  • 所在地:岩本町二丁目2番

町名由来板

江戸時代、この界隈(かいわい)は、町人と武士の屋敷が混在している地域でした。このあたりにあったのは、神田紺屋町三丁目(かんだこんやちょうさんちょうめ)、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)、神田佐柄木町(かんださえきちょう)代地、永富町二丁目(ながとみちょうにちょうめ)代地といった町々でした。
明治二年(1869年)、これらの町が合併して「東紺屋町」となりました。
明治五年(1872年)には、町の北側にあった、江戸時代前期から続く武家地の一角も編入されています。通称「お玉が池」と呼ばれていたあたりです。
「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭(がしら)の拝領地であり、藍染(あいぞめ)職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来しています。
昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町となりました。その後、昭和四十年(1965年)の住居表示の実施にともなって、神田東紺屋町の一部は神田松枝町(かんだまつえだちょう)、神田大和町(かんだやまとちょう)、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)の一部、神田元岩井町(かんだもといわいちょう)の一部と合併して、岩本町二丁目(いわもとちょうにちょうめ)となり、現在に至っています。

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