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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田旅籠町(かんだはたごちょう)

地図

  • 設置年月日:平成15年9月10日
  • 所在地:外神田一丁目1番(昌平橋束橋詰広場)

町名由来板

この周辺は、かつて神田旅籠町(かんだはたごちょう)と呼ばれていました。
昌平橋(しょうへいばし)の北側にあたるこの地は、中山道(なかせんどう)の第一の宿場である板橋宿(いたばししゅく)、日光御成街道(にっこうおなりかいどう)の宿場町である川口宿(かわぐちしゅく)への街道筋として、旅籠(はたご)が数多く立ち並んでいたため、「旅籠町」と呼ばれるようになったと伝えられています。
江戸幕府は、五街道(ごかいどう)のなかでも、遠く京都に通じる東海道(とうかいどう)と中山道の整備にとくに力を入れていました。また、日光御成街道は将軍が日光参拝(にっこうさんぱい)の際、必ず通った街道で、現在の国道122号にほぼ相当します。こうした二つの重要な街道の拠点となる町が旅籠町だったのです。
しかし、天和(てんな)二年(1682年)に江戸で大火事が起こります。浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)でも有名な「八百屋(やおや)お七(しち)」の大火です。もともとあった旅籠町はこの火災で類焼し、北側の加賀金沢藩邸(かがかなざわはんてい)跡地に替地(かえち)を与えられました。そして元禄(げんろく)七年(1694年)には、浅草御門の普請(ふしん)のため、馬喰町(ばくろちょう)・柳原(やないはら)周辺の町が代地を与えられ移転しています。これを機に旅籠町にも一丁目と二丁目ができました。さらに、明治二年(1869年)には、昌平橋と筋違橋(すじかいばし)の北側にあった幕府講武所付町屋敷(ばくふこうぶしょづきまちやしき)が神田旅籠町三丁目と改称されました。
さて、旅籠町の由来となった旅籠ですが、幕末のころにはほとんど姿を消しています。「諸問屋名前帳(しょどんやなまえちょう)」によれば、嘉永(かえい)(1848年~1854年)のころまで残っていた旅籠は、わずか一軒だけとなり、代わりに米や炭、塩、酒を扱う問屋が増えていたことがわかります。街道筋の宿場町として誕生した旅籠町は、その後、活気あふれる商人の町として成長をとげたのです。

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