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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田鍛冶町三丁目(かんだかじちょうさんちょうめ)

地図

  • 設置年月日:平成16年1月7日
  • 所在地:神田鍛冶町三丁目3番地

町名由来板

JR神田駅周辺には、「鍛冶(かじ)」という名を冠する町名が三つ存在します。
そのうち、鍛冶町一丁目(かじちょういっちょうめ)と鍛冶町二丁目(かじちょうにちょうめ)は、江戸時代から「鍛冶」が付く町名でしたが、ここ神田鍛冶町三丁目は「鍋町(なべちょう)」と呼ばれた町でした。
この界隈(かいわい)が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師(ごよういもじ)をつとめていた、椎名山城(しいなやましろ)が屋敷を構えていたためと伝えられています。鋳物師とは、鍋(なべ)や釜(かま)をつくる職人のことです。ほかに御腰物金具師(おこしものかなぐし)や御印判師(ごいんばんし)なども住んでいました。
鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。文政(ぶんせい)七年(1824年)の「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」によれば、紅(べに)や白粉(おしろい)などの化粧品、傘(かさ)、菓子(かし)、釘(くぎ)や打物(うちもの)などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいたことがわかります。江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品がそろう町でした。
明治のはじめ、隣接するいくつかの横町(よこまち)を含めて鍋町は広がりました。明治六年(1873年)、一部が黒門町(くろもんちょう)に編入され、さらに昭和八年(1933年)、鍋町は鍛冶町三丁目と改称し、一部が鍛冶町二丁目になりました。昭和二十二年(1947年)には町名に「神田」が付き、昭和四十一年(1966年)に実施された住居表示で一部は内神田三丁目に編入されました。これを受けて、地域の人々は町会の名称を「神田鍛冶三会」と改め、今日にいたっているのです。

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