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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田松住町(かんだまつずみちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年3月9日
  • 所在地:外神田二丁目3番

町名由来板

江戸時代のはじめ、この界隈(かいわい)は長福寺(ちょうふくじ)の境内となっていました。ところが、明暦(めいれき)三年(1657年)の大火(振袖(ふりそで)火事)のあと、周辺の様子は一変します。翌年、長福寺が浅草新寺町(あさくさしんてらまち)(現在の台東区)に移転してしまったからです。寺の跡地は、商人や職人が住む町屋へと生まれ変わりました。
元禄(げんろく)から宝永(ほうえい)年間(1688年~1711年)には、「湯島横丁(ゆしまよこちょう)(のちに湯島横町)」という名前が付けられています。また、町内に材木を扱う商人が集まっていたことから「材木町」という通称もありました。ほかに町の南側を流れる神田川の河岸周辺には、薪(まき)を売る商人が集中していたことから「薪河岸(まきがし)」という異名もあったといわれます。文政(ぶんせい)年間(1818年~1830年)に書かれた「文政町方書上(ぶんせいまちかたかきあげ)」には、毎年十二月二十日と二十一日に、町内で神田明神(かんだみょうじん)の市が立ったことが記録されています。
明治維新後も、この周辺が活気あふれる商業地であったことに変わりはありませんでした。明治五年(1872年)、神田松住町(かんだまつずみちょう)という新しい町名が誕生しました。縁起物の松にちなんだ名前には、町が末永く繁栄してほしいという、人々の願いが込められていたのでしょう。
そんな松住町も、昭和三十九年(1964年)、住居表示の実施にともない、神田宮本町(かんだみやもとちょう)、神田同朋町(かんだどうぼうちょう)、神田台所町(かんだだいどころちょう)などとともに外神田二丁目(そとかんだにちょうめ)となって、現在に至っています。

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