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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:神田栄町(かんださかえちょう)

地図

  • 設置年月日:平成16年2月29日
  • 所在地:外神田五丁目1番

町名由来板

ここはかつて、神田栄町(かんださかえちょう)と呼ばれていました。
江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域で、幕末のころの絵図には、この一帯が豊前小倉(ぶぜんこくら)藩小笠原(おがさわら)家の中屋敷(なかやしき)となっていたことが記録されています。ちなみに中屋敷とは、上屋敷(かみやしき)(本宅)に対する控えの屋敷のことで、跡継ぎなどが居住しました。
この界隈(かいわい)が大きく様相を変えたのは明治維新後のことです。明治二年(1869年)十二月、神田相生町(かんだあいおいちょう)から出た火事によって、現在の外神田(そとかんだ)周辺は焼け野原となってしまいました。そこで明治新政府は、神田竹町(かんだたけちょう)、神田平河町(かんだひらかわちょう)、神田松永町(かんだまつながちょう)などに、防火のための空き地(火除地(ひよけち))を設置します。それらの町に住んでいた人たちがこの界隈に移転させられ、神田栄町ができたのです。「栄」という名前は、住民が町の繁栄を祈願して付けた町名であるといわれています。
明治四十四年(1911年)、町は栄町と改称しますが、昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立した際、ふたたび神田栄町となりました。そして昭和三十九年(1964年)、住居表示の実施で神田亀住町(かんだかめずみちょう)や神田元佐久間町(かんだもとさくまちょう)とともに、現在の外神田五丁目(そとかんだごちょうめ)となりました。

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