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更新日:2014年11月11日

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町名由来板:小川町一丁目(北部)(おがわまちいっちょうめ(ほくぶ))

地図

  • 設置年月日:平成16年8月26日
  • 所在地:神田小川町一丁目6番地

町名由来板

江戸時代、小川町(おがわまち)は神田の西半分を占める広大な地域をさす俗称でした。
古くは、鷹狩(たかがり)に使う鷹の飼育を行う鷹匠(たかじょう)が住んでいたことから、元鷹匠町(もとたかじょうまち)と呼ばれていましたが、元禄(げんろく)六年(1693年)に小川町と改称されました。五代将軍綱吉(つなよし)が「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を施行、鷹狩を禁止したため改称されたという話も伝わっています。
小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからともいわれています。江戸城を築いた室町時代の武将太田道灌(おおたどうかん)はその風景を「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹(ねぜり)をあらひこそすれ」と詠んで(よんで)います。

安政(あんせい)三年(1856年)の絵図にも見られるとおり、このあたりには山城(やましろ)淀(よど)藩稲葉家、豊後(ぶんご)府内(ふない)藩松平家、越前(えちぜん)大野藩土井家の上屋敷(かみやしき)がありました。
明治五年(1872年)、周辺の武家地を整理して、西側は小川町、東側は淡路町一丁目(あわじちょういっちょうめ)となり、明治十一年(1878年)、神田区に所属します。この界隈(かいわい)は、鍛冶屋稲荷(かじやいなり)神社(現在は幸徳(こうとく)稲荷神社と改称し、小川町二丁目に遷座(せんざ))のほか、西洋料理店やビリヤード場、学校、印刷所などが立ち並び、周辺の雉子町(きじちょう)、美土代町(みとしろちょう)、錦町(にしきちょう)、表神保町(おもてじんぼうちょう)などとともに東京を代表する繁華街として栄えました。
昭和八年(1933年)、区画整理により、ここは小川町一丁目(おがわまちいっちょうめ)となります。昭和二十二年(1947年)に神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立すると、町名も神田小川町一丁目となりました。

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