ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

いく、そういう仕事です。工場長や組長が教えてくれたし、難しいことではありません。日本のボール盤は音がうるさいんですが、ドイツ製だったかが1台あって、それは静かで、サーッと動いていました。昼の食事は給食でした。おかずは靴のひもと呼んでいたもの、あれはゼンマイだったのかな、そればっかりでした。あとは大豆も出ていましたね。──辛つらかったことや楽しかったことはありますか。工員に比べ、学生の仕事量はちょっと少なかったと思います。だから特に辛いことはありません。鉄で作った3人くらい入れるお風呂もあって、「学生さん、帰る前に入っていきな」とお湯を入れてくれたり。僕は入りませんでしたけれど。僕らは中学生でしたが、拓殖大学の学生も動員されて来ていました。初期の空襲には怖さはなかった──慰い問もんもありましたか。灰田勝彦、ディック・ミネとか来ましたね。ディック・ミネは、名前が英語だといかんと、芸名を三根耕一にしていました。最初は戦争行進曲とかナントカ攻撃隊とか歌うんですが、みんなが本当に聞きたいのは、灰田勝彦の甘い声。お兄さんの灰田晴彦がスチールギターを弾いているハワイアングループでね。勇ましい曲をやると帰っちゃう人もいました。昭和19年8月17日に撮影した木下家の家族写真99未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記暮らし