ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ました。僕は鐘かねを鳴らして配給を知らせていました。米もあまり配給されない時代です。おふくろも苦労して少ない米は雑ぞうすい炊にしていたし、うどん粉で「うどん」をつくり食べました。砂糖もなかったから虫歯もなくなりましたね。──進しん駐ちゅう軍ぐんに対して憎い気持ちは。強い思いはありませんでした。戦争中も、アメリカ人は殺してしまえという感じはまわりにもなかったし、戦争が終わっても、ジープで米兵が来ると皆愛あい嬌きょうがいいんだ。外国人を見たことないから、ハローって言い珍しがるくらい。悔くやしいという思いもない。戦地から戻った軍人さんには悔しがっている人もいましたが。──最後に、若い人たちへのメッセージを。歴史は書く人によって違います。前から、後ろから、右から、左から、見る方向によっても違う。選挙年齢も下がる今、そこを皆さんなりに勉強して、日本の行く末を考えてほしいと思っています。枚なんていう贅ぜいたく沢なことはありませんでしたよ。──終戦の時、玉ぎょく音おん放ほうそう送は工場で聞いたのですか。そう。あの日はお天気が良くてね。天皇陛へい下かの重大放送があるということでした。けれど僕らじゃ言っていることが難しくて分からなかった。大人が、負けたって教えてくれました。茫ぼうぜん然としましたね。もっと頑張れなかったのかなと。憲けんぺいたい兵隊が工場にも入ってきて、暴動が起きないよう鉄砲を抱えて立っていました。家の方に帰ってからも、町は静かでした。これからどうなるのか、不安も大きかった。食べ物もないし。皇居にかなり人が集まり、割かっぷく腹自じ殺さつもあったと聞きましたが、どうなのでしょう。僕は見ていませんけれど。──戦後の暮らしはどうでしたか。食べ物がなくて大変でした。汽車の中で闇米の取引もありました。でも警官に見つかると没ぼっ収しゅうされます。米とか芋を赤ん坊のようにカムフラージュして持って来ていました。今の「肉の万世」のあたりには闇市がありました。行けばミルクやいろんな物資もありました。戦争中は公園で何か作れと言われ、おふくろはカボチャなど育てていました。でも、できません。畑じゃなくて公園の土ですから。魚屋なので魚の配給もしました。神田に40軒ほどあった魚屋は整理されていて、指定された店で働くんです。神田には何人分と決まった量の魚が来て、それをおやじと一緒に売って歩き写真左から、松野さん、木下さん、谷垣さん、大須賀さん102未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集