ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

最後の写真を撮りに来た出征兵士たち──まず、お生まれになった年と場所、ご家族を教えてください。昭和11(1936)年生まれの79歳です。ここ九段の生まれです。私の両親は亡くなっていますが、父と母、4歳下の弟がいました。──お父様は靖国神社の近くで写真館を営んでいたそうですが。父は樺からふと太の出身でした。北海道で写真の修業をしてから赤坂の写真館に入りました。腕がいいと言われていたそうで、絵描きだった母方の祖父や祖母も呼んで、昭和10(1935)年に九段の表通りで独立開業したんです。今、トヨタビルがある一角がスタジオ兼住居。私はその翌年に生まれました。──靖国神社にお参りした兵隊さんの写真を撮っていたと聞きますが、記念写真ですか。出しゅっ征せい前に、タスキをかけて本ほんでん殿に参さんぱい拝し、帰りに家族写真を撮るんです。兵隊さんを真ん中に家族で囲んで。もう帰って来られないかもしれないから、最後の写真ですね。靖国は特とくしゅ殊な神社なので、皆、写真を撮っていました。だから神社のそばには何軒も写真館があって、それなりに繁はん盛じょうしていました。ところが戦争が始まってしばらくたつと、兵隊さんの顔がどんどん若くなっていくんです。職業軍人ではなく、赤あかがみ紙で召しょう集しゅうされる人たちです。親もそう話していたし、私自身も覚えています。幼稚園から小学3年までの間、ずっとそれを見ていたんです。もちろん写真館ではふだんは普通の写真も撮りますよ。でも戦争が進んでいくと、写真を撮ろうなんていう気持ちもなくなっていきますよね。叔父は1枚の紙になって帰ってきた営業写真家として知られた父の「竹田写真館」を平成22(2010)年まで引き継ぎ、千代田区議会議員としても活躍してきた竹田靖子さん(79歳)。九段に生まれ、2度の疎そ開かい生活を過ごした戦争時代は、その生き方の根こんかん幹を作っていったとも言えます。竹田靖子たけだやすこ九段南インタビュアー西山侑里(高校2年生)谷垣柚乃(高校2年生)大須賀龍(高校1年生)103未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記暮らし