ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

第1部写真で見る戦争の記憶街角の交差点付近に、防空壕を掘る勤労学生たち。空襲が本格化する中、街の至る所でこのような退避場所が作られた(昭和館提供)空襲への備え900戸、神田区で3し0た0。0昭戸和、死20年傷者は5000人にもおよびました。尊しいま人し命たが。失昭わ和れま20年6月の推計では、残存戸数が麹町区で5月には麹町区・神田区の多くの地域が被害を受け、模な空4月襲13日深夜かがあり、これらの爆撃によって東京ら14日未明にかけてと、5月の市24日街の地未の明大、半翌が焦25日に大規しょう土どと化もおよび、推定10万人以上の市民が犠ぎ牲せいになりました。を残しました。2時間あまりの空襲で投下された焼しょう夷い弾だんは1700トンに10日未明には325機のBます。特に神田区の被害は大きく、家屋約29による大空襲が1万あ戸が被災しました。続くり、東京下町に多くの被害3月昭和18年に完成した東京中央電話局麹町分局。通信手段を確保する重要施設として、堅牢な鉄筋コンクリート造として建設された(昭和館提供)昭和19年、旧内務省防空課の指導により、国会議事堂はコールタールで黒く塗られ、防空塗装が施された(昭和館提供)7未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集