ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

──当時の麹町の様子を教えていただけますか。──その後、しばらくして召集されたのですか。た。には気をつけていました。お店の手伝いをしながら仕事を覚えていきまし丈夫にしないといけないと思い、特に食べる物てからは床を掃いたり、タオルを洗濯したりと免除になりました。それからは、自分でも体を集まっていましたね。学校で理髪を習い、帰っ隊に向かない、つまり不合格ということで兵役きました。けっこう名の通ったお店のせがれが学校がありまして、私はそこに通いで修業に行「頑がん甲こ健けうん乙おでつ丙へい丁ていはないため、「丙へい種しゅ」でした。丙種は兵」の階級があり、私は身体があまりはもうなくなりましたけれど、神田に明治理髪うちの店は明治末期に父親が始めました。今向くかどうかの徴兵検査を受け20歳で兵隊にました。すね。た。昭当和時、10年日、本国20歳民ののと男きはに全徴員兵、検査を受けまし──麹町大通り沿いで理髪店をされていたので──徴ちょう兵へい検査はいつ頃受けられたのですか。歳になります。でした。大正4(1915)年生まれ、今年で100車ですね。その程度のものしか走っていませんさい。荷物を引く荷馬車です。それから人間が引く荷──まず根岸さんご自身についてお聞かせくだり見かけなくて、行き交っていたのは主に馬が電車(市電)は通っていました。自動車はあま兵役免除の身に召集がかかるその当時、麹町大通りは舗装していません。た空襲や当時の生活の様子をうかがいました。合格昭和とな19(194り麹町に戻ります。理髪店をやりながら体験し(1935)年、4) 20歳年の、とき29歳ので召しょう集がかかるものの、不徴ちょう兵へいし検けゅんう査さでは兵へねぎしこうざぶろう根岸幸三郎麹町(1902)年から続く「根岸理容室」の2根岸幸三郎さん(100歳)は、麹町3丁目で明治い代役えき目免めん。除じょ昭さ和れ、10 35焼け残った椅子を使い、焼け跡で行った無料理髪インタビュアー泉政秀(区内在勤者)内藤望(大学2年生)未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集110