ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

不合格にされてしまいました。「歓呼の声に送られて参りましたから、ぜひ兵隊にとってください」とお願いしましたが、「君の心情はよく分かる。けれども無理なものは無理だ」と。そして、15時頃に「それでは、不合格の方はこれから自宅へ帰ってください。前線も銃じゅう後ごも変わりはないから、これから銃後で活躍してください」と言われ、横須賀から四ツ谷まで帰されました。夕方でしたからそのまま家に帰ったのですが、家族からは脱走してきたのかと思われました。脱走というのは国こくぞく賊ですから大変なことです。「証明をいただいているから心配しなくても大丈夫だ」と理由を説明し、ようやく父も母も家内も納得しました。家内は言葉にならず、安心したという顔をしていましたね。そして、隣となり組ぐみの群ぐん長ちょうにあいさつに行きました。「実はこういう事情で、恥ずかしいのですが帰って参りました」と話したら、小さな声で「それはよかったですね」と言われたのを覚えています。戦争中にそんなことを言ったのが他に知れたら大変ですよね。5月25日の山の手大空襲を経験──横須賀海兵団から帰ってきてからどうされたのですか。もちろん、すぐに仕事を再開しました。当時はみんな防ぼう護ご団だんに入っており、私も特とくべつ別警けいぼうたい防隊に入っていました。というのも、お巡りさんも出征して警察も手が足りないんです。なにも泥棒を捕まえるというのではなく、麹町警察署のお巡りさんと2人組になって、警報が出たときの伝達などを行っていました。──麹町は5月25日の山の手大空襲での被害が大きかったと聞いています。その日、根岸さんはどうされていたのでしょうか。警防隊としてお巡りさんと一緒に行動していました。麹町警察署の前のお宅の玄関が広いものですからそこに待機していたところ、焼しょう夷い弾だんが落ちました。焼夷弾が落ちたら、火たたき(棒の先に縄をなったものを付け、それを水に浸したもの)で火の粉をたたいて消せと言われていました。でも、火が跳はねるほうが強いから、そんなものではまったくだめです。近くにトタン板があったので、そのトタン板をかぶせたのですが、火がパーッとトタン板を突き抜けていくんです。お巡りさんが「これは危ないから、自分たちの身を守るために避ひ難なんしましょう」と。それで、他の警防隊の人と避難しました。麹町警察署の右隣が麹町区役所で、そこへ入ろうとしたのですが、1人が「もう少し先へ行こう」と言うので、英国大使館のほうへ向かいました。ところが、あのあたりの桜の木は古いため、幹がみんなうろ(空洞)になっていて、そこへ火の粉がどんどん吹き付けるものですから燃えさかっているんです。そんな状況で前を見たら、防ぼうくう空頭ず巾きんをかぶった女の人の背中が燃えている。当人は逃げるのに必死ですからまっ銃後戦争の現場を「前線」と呼ぶのに対して、直接には戦火に巻き込まれていない国内を「銃後」といった。太平洋戦争末期には銃後と前線の区分はなくなった。112未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集