ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

たく気づきません。その人の背中の火を夢中で消してあげました。英国大使館の前には軍ぐん馬ばの防ぼうくうごう空壕がありました。馬が入るくらいですからかなり深く掘ってあって、そこへ軍馬をみんな収容していました。私たちはさらに代官町の方へ逃げました。あのあたりは燃える物があまりありませんから。無我夢中でした。麹町の方を見たら燃えています。でも、そういうときでも、自分のうちだけは燃えないと思っているんですね。そのうち夜が明けて明るくなりましたから、麹町へ戻ろうと歩き始めましたが、新宿の方まで焼け野原でした。もちろん、自宅も店も燃えていました。何にもない、そんな状況でした。あとから聞いたのですが、近所の人たちはみんな麹町区役所の地下に避難していました。爆弾が破は裂れつすると大変だというので、ガラスが突き抜けないように、窓に4寸角の材木を積み重ねていたそうです。そうしたら、それが仇あだになりました。その材木に火が吹き付けてきて、中に火が回ってしまったのです。あそこで大勢の方が亡くなりました。──ご家族はどうされていたのでしょうか。父親は防空壕へ避難して無事でしたし、家内や子供たちは疎そ開かいさせていました。知り合いが千葉県の銚ちょう子しにいたので、そこへ疎開をお願いしました。銚子は艦かんぽう砲射しゃげき撃があるから危ないのではないかと言う人もいましたが、それは大丈夫だったようです。なんといっても、銚子では食べ物が手に入ったのですよ。魚もありますし。少し落ち着いて国こくでん電が走るようになってからは、東京へ出てくるついでに食べ物を持ってきてくれたこともあります。それも運がよければですが…。というのも、途中で警察がお米などの食べ物を持っていないか検査に入りますから。実際に没ぼっ収しゅうされた人もいました。警察の人も辛つらかったろうと思うのですけれどね。──では、ご家族はみんなご無事だったのですね。5月25日は、私の目の前で亡くなった方はいませんでした。でも、先の3月10日は下町の方が空襲でやられました。妹がそちらへ嫁に行っていましたから、心配して父親と2人で歩いて浅草へ行ったのですが、見つかりませんでした。きっと隅田川に飛び込んだのでしょう。とうとう行方は分からずじまいでした。浅草の方でも大勢の方が亡くなりました。みんな荷物を持って逃げていましたから、荷物に火がつき、橋の上で火事が起きてしまって向島の方へ渡れなかったそうです。向島は焼けていないのに、死ぬと生きるは本当に紙一重ですね。浅草の商店街から東武鉄道へ渡るところで、普通の格好をしている人が立ったまま亡くなっているのを見ました。どうしてかと思いましたが、火災で煙にまかれ酸素がなくなり、それで立ったまま亡くなったのでしょう。浅草の観音様の後ろでは、軍隊が焼けただれた人たちを積み重ねていました。衣類は焼け、身体も真っ赤になっていますから、男の人か女の人か識別もできま大正時代の祭り風景。右手奥に見えるのが、根岸理容室113未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記暮らし