ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

人が、たくさんいましたよ。中には自決したのか、菰こもをかぶせた遺体も2つほどありました。──そこまでする人も、いたのですね。日本は神国である。だから絶対に負けない!という信念のもとで、戦っていたんですから。それがどういうわけか負けてしまったのですよ。その衝撃たるや、これもまた今の若い人には想像できないのではないでしょうか。巣鴨プリズンでコックになる──続いて、戦後のお話をお聞かせください。広瀬さんのご家族は、皆さんご無事だったのですか。おかげさまで、両親と姉、妹たちとは戦争が終わってすぐに顔を合わせることができました。通信兵だった次兄も千葉の松戸から戻り、アンダマン諸島でイギリス軍の捕ほ虜りょになった長兄も3年後には帰国することができました。親しんせき戚では従いとこ兄弟が1人、乗っていた輸送船が沈ちんぼつ没して亡くなっていますが、あの当時としては比較的、家族や親族に被害が少なかったほうだと思います。──巣鴨プリズンでコックをされていたそうですが、その仕事を見つけるきっかけは何だったのでしょう。勤めていた軍需工場は解散になってしまい、焼け野原の東京では他に仕事もありません。そこでしばらく、日ひ雇やといで働いていました。仮住巣鴨プリズンでコックをしていた頃の広瀬さんと同僚119未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記暮らし