ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

A級戦犯として収容されていた、東条英機の最後の食事です。死刑の前に何か望みはあるかと聞かれて、「サンマの焼いたのが食べたい」と答えたそうなのです。しかし厨ちゅう房ぼうには蒸気釜しかなく、焼き物ができませんでした。そこでずいぶんと考えて、熱々に熱した釜にバターを溶かして、焼いて出した覚えがあります。最後の食事に希望が言えるのは、A級戦犯だけです。しかし私たちコックは、B級・C級戦犯の人が処刑される日も分かりました。それは教きょう誨かい師しといって、死刑囚に引いんどう導を渡すお坊さんの食事を「明日の昼は用意するように」と言われるからです。巣鴨プリズンには5台の絞こうしゅだい首台がありました。サンシャイン近くの東池袋中央公園には、絞首台があった場所に石せき碑ひが建っていますよ。──仕事以外で、何か記憶に残っていることはあるでしょうか。巣鴨プリズンの4階にホールがあって、土曜日になると進駐軍と職員向けに映画が上映されました。私たち職員も仕事が終わっていれば、後ろに立って観ることができた。セリフは英語だから分からないけれど、画面を見ればだいたい筋は分かりました。アメリカ軍の写した本編の前にはニュース映画もあって、私はそこで沖縄戦の映像を初めて見たのです。これはもう、すさまじかったですよ。アメリカ軍の軍艦が沖縄の島を三重、四重にも取り囲み、ロケット砲で集中的に砲ほうげき撃する──お金がいらないんですね。インフレでお金の価値も下がっていましたから、物々交換がけっこう普通に行われていたのですよ。──珍しい食べ物にも出会いましたか。生ハムですね。生まれて初めて食べて、あれはうまかったなあ(笑)。進駐軍が食材として使った余りの骨の方だけコックにくれるんですよ。まだかなり肉が付いていたから、みんなで食べました。チーズもオランダとかフランスとか、北欧のチーズもうまかったねえ。ただイタリア産の料理用チーズは、たまに見たら中にウジ虫が入っているんですよ。「腐ってるから捨てちゃえ」と騒いでいたら、「何言ってるんだ。これがうまいんだ」って。──食文化の違いですね。逆に当時のアメリカの軍人さんは、魚を生で食べたことがない。せっかくのおいしそうな刺身を「煮て出せ」というんだから。これは煮たら意味がないんですよ、ワサビとしょうゆを付けるとうまいんですよと目の前で食べて見せるんだけど、「大丈夫か、明日も仕事に出て来られるか」と心配されてねえ(笑)。東とう条じょう英ひで機きのサンマを焼く──コックの仕事としては、どんなことが印象に残っていますか。A級戦犯極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、憲章第6条A項が規定する「平和に対する罪」に違反し有罪判決を受けた戦争犯罪者。「平和に対する罪」とは、国際法で不法に戦争を起こす行為のことを指す。なお、憲章第6条B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」により定める戦争犯罪者をそれぞれB級戦犯、C級戦犯という。東条英機明治17年7月30日(戸籍上は12月30日)生まれ。日本の陸軍軍人・政治家、第40代内閣総理大臣。太平洋戦争において陸軍大臣と参謀総長を兼任した。敗戦後に拳銃自殺を試みるが失敗し、極東国際軍事裁判所(東京裁判)で開戦の罪(A級)・殺人の罪(B・C級)として起訴され、判決後、昭和23年12月23日、巣鴨プリズンで絞首刑が執行された。121未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記暮らし