ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

なく、「学校から持て余されているくらいなら、格したら、学校でも「お前たちみたいな馬鹿者ました。私たちは勉強があまり得意なほうでは惜しんで勉強しました。かろうじて3人とも合ました。5名募集がきて、私を含め3人が受け入れるよりも暗記しろ」ということで寝る間もたのですが、たまたま学校に予科練の募集がきました。特に数学に関しては、「とにかく頭に私は当時、横浜市立鶴見工業高校へ通っていから3人が居残り、先生の指導を徹底的に受け自分から志願したのでしょうか。始まりました。3カ月間、毎日学校が終わって──予科練を受けたということですが、試験はわれました。願書を出した次の日から猛特訓がを営み、今は息子が継いでいます。から指定されたのだから一応受けてみろ」と言てからは東京に出てきて九段南4丁目で写真店馬鹿者が受かるわけがないだろうけれど、学校終戦まで航空隊や山やま市出身です。私は航空16歳基の地とにきいにま予し科た練。に復入員りし、した。ですから先生には、「お前たちみたいなと同じくらい難しい問題が出ると言われていま(1925)私は大正年生15(ま1れ9で2す6。)2年人、と家も内栃は木大県正小おその当時、予科練に入るには東京大学の入試14──予科練の試験はどのようなものですか。さい。みんなそれに憧あこがれていました。──まず、お二人のことについてお聞かせくだは、真っ白な制服に〝7つボタンは桜に錨いかり〟と、ないか」ということで志願したのです。あの頃予科練で徹底的な教育を受けるいっそのこと予科練に行ったほうがいいのではお話をうかがいました。壮絶な予科練での訓練や特攻基地での日々などについて乗員として配属。多美江さんは気象庁と軍事省に勤務。プんアはニュ16歳でーギニア・ラバウル、愛知・明治航空基地へ搭予よ科か練れんに志願し、鹿児島・鹿かの屋や航空基地、パ終戦後は九段南4丁小野寺盛三郎さん(目で89歳写真)・多店美を江営さみんま(した89歳。)盛ご三夫郎婦はさ、おのでらせいざぶろう小野寺盛三郎九段南おのでらたみえ小野寺多美江九段南インタビュアー泉政秀(区内在勤者)谷垣柚乃(高校2年生)大須賀龍(高校1年生)特攻機に乗り、笑顔で飛び立っていった仲間たち未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集124