ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

がよく入った。予科練に入ったからには一生懸命にやれ!」と激げきれい励してくれました。そのときに3人で「入るからには国のためにやろう!」と誓いました。──予科練とはどのようなところなのでしょうか。予科練は、茨城県の土浦海軍航空隊で1年間教育を受けます。予科練とはもっと楽なものかと思っていたらとんでもありませんでした。それはもう、普通の人には想像できないような教育です。午前中は学科、午後は体育などの実地訓練があります。午前中の学科が始まる前には必ず試験がありました。前の日に勉強した内容が出され、安全点が80点。80点以下だったら、80点になるまで食事もさせてもらえません。トイレの中でも勉強していました。予科練では班に分かれており、1つの班がだいたい10名です。1人でも何か過失があったら10人全員の責任になる。連帯責任です。過失の内容によって1?3回、精神注入棒(バッターとも言われる)というバットを改造したような棒で尻を叩きつけられます。3回やられた者はみんなその場に倒れてしまう。私も3回やられました。倒れはしなかったけれど、そのかわり血が下がって腰から下が真っ黒になりました。なにしろ、トイレでかがめないくらいひどく、小便のときはいいけれど、大きいときは同じ班の者が2人一緒に入って両脇を支えてくれる、そんな状態でした。1人でも何か不備があると連帯責任として全員に迷惑がかかりますから、絶対に悪いことはできない。それだけ団体力というものを教育されるわけです。──訓練で辛つらかったのはどんなことですか。真冬の真夜中12時頃、非常召しょうしゅう集がかかります。非常召集がかかったら、裸にパンツ1枚で飛行場に整列です。何をするのかと思ったら、飛行場を1周する。1周といっても霞ヶ浦の飛行場は大きく、普通に歩くと1時間以上かかります。それを駆かけ足で1周すると、真冬でもさすがに汗をかきます。そうすると次は防火用水に飛び込み、端から端まで泳がされました。中には泳げない者がいて、班長が洗濯干し棒のような長い竹で引き上げていました。水から上がると今度は、誰かまわず取っ組み合いの相す撲もうです。やっと身体が温まってきたなと思ったら、滑走路へ整列して腕立て伏せをやらされる。もちろん、1分や2分ではありません。真冬の真夜中に汗が落ちてくるほどやらされるんです。また、1週間に2回体育の時間があり、最初にやらされるのが騎馬戦です。それが終わると棒倒しです。棒倒しも勝てば1回ですみますが、負ければ勝つまでやらされます。傷だらけになってしまいます。何もかもが勝負で、とにかく勝つまでやらされました。ですから、生なまはん半可かなことではへこたれないですね。予科練に入隊したときは体重が16貫目(60キログラム)以上あったのですが、1カ月で15貫予科練に入隊した頃の小野寺さん予科練正式には海軍飛行予科練習生。昭和17年11月、水兵服から7つボタンの短ジャケットに替わり「7つボタンは桜に錨(いかり)…」の歌とともに少年たちのあこがれの対象となった。太平洋戦争末期の特攻作戦で多数の戦死者を出した。125未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊