ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

目(56・25キログラム)を切っていました。食事はきちんと取っていますので、それだけ訓練が過か酷こくだったということです。──想像を絶する訓練です。正直に言いますと、いくらお国のためだといっても、こんなに辛い思いをするのなら入らなければよかったと思いました。あまりに辛くて、3人で脱走しようと考えたこともあります。毎週土曜日の午後から「外泊」というものがあり、1泊で外出できます。そのときに脱走しようと相談していたのですが、ある人が「お前たち、逃げ出すという話を耳にしたけれど、そんなことをしたら大変だぞ」と言うのです。「どういうことだ?」と聞いたら、「もしもお前が脱走したら、小野寺の姓を名乗る一族全員の戸籍が赤字になる。それから、いっさい公職に就けない。それでもいいのか」と。一族にそんな迷惑をかけるのだったらやめよう、どうせ死ぬならお国のために死のうと思い直し、脱走をあきらめました。でも、私たちの班から2名脱走兵が出ました。外泊して行方が分からなくなったんです。──予科練の食事はどのようなものですか。班長は班長室で食事をとり、私たちは班ごとに朝昼晩と当番がいて食事を揃そろえます。食事は最高に優ゆうぐう遇されていました。あの頃、一般的な兵隊さんは麦飯だったと言いますが、私たちは麦飯なんて食べたことはありません。白米です。今でも覚えていますが、朝は生卵が2つ、飯はん盒ごうの中ぶたに牛乳が1杯、それに必ず焼き肉が出ました。あの頃は焼き肉と言っていましたが、今で言うステーキです。──予科練では、飛行機に乗る訓練も行うのでしょうか。実際に飛行機に乗って訓練するのは、半年後です。「赤とんぼ」といって、2翼になっている練習機です。最初のうちは教官が前に乗り、練習生は後ろに乗ります。教官が「右旋回」「左旋回」「上昇」「下降」などと言ってその通りに動きます。1週間たつと、今度は練習生が前に乗り、教官が後ろに乗ります。でも最初のうちは緊張しているから、教官からレシーバーで指示されても何を言われているか聞き取れない。飛行場はこっちだから右旋回だろうなどと自分の判断で操縦する。そうしたら「貴様、何を聞いているんだ!」と後ろから精神注入棒でバーンと頭を殴られます。本当に目から星が出ますよ。特攻基地である鹿かの屋や海軍航空隊へ──予科練の訓練が終わってから、どちらに配属になったのでしょうか。予科練が終わると実戦部隊といって、実際に戦争をする部隊に配属になります。私は鹿児島の鹿屋海軍航空隊へ配属になりました。そのときは、鹿屋が特攻基地だということを知りませんでした。特攻特別攻撃隊の略称。生還率が低い決死の攻撃、戦死を前提とした攻撃を遂行する部隊。第二次世界大戦においては、陸海軍が体当たり戦法を遂行する特別攻撃隊が編成された。爆弾や爆薬を搭載した軍用機で敵艦に体当たりし自爆する航空特攻、特殊潜航艇や人間魚雷などによる海上特攻がある。126未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集