ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

し、それを口に含んで操縦していました。食事の時間帯に飛行機に乗る場合は、間食といってコンビーフをおせんべいみたいに圧縮して乾燥したものも5枚渡されました。これが栄養もあってうまかったですね。──鹿屋にいたとき、ニューギニアに出兵されたそうですが、そのときのお話をお聞かせください。ニューブリテン島(現・パプアニューギニア)のラバウルへ転勤になりました。ところが、ラバウルで補給が滞とどこおり物資が不足するという事態が起きました。それまでは船で輸送していたのですが、潜水艦で爆撃を受けるから輸送機で物資を運ぶということになり、輸送機の護衛でたまたま内地へ戻ってきたのです。ところが、1週間の予定が1カ月かけても補給物資が集まらない。2カ月近くたってからようやく物資がまとまったのでラバウルの本隊へ帰ろうとしたら、給油地である台湾の高たか雄おが空襲に遭あって使いものにならない。ラバウルへは高雄で給油をしなければ向かうことができません。それで再び内地勤務になりました。そのとき、鹿屋からラバウルに転勤になった者は30名いました。輸送機の護衛で帰ってきたのは6人です。ですから6人は助かりましたが、あとは全員ラバウルで戦死しました。その24名は靖国神社に入っています。アメリカの戦闘機はグラマン、シコルスキーと呼ばれていましたが、性能がよいのは日本の零ぜろ戦せんのほうです。空中戦は射撃するために、飛行機の後ろ、つまり尾翼につかなくてはなりません。グラマンのほうが速度は上ですが、飛行機はあまりスピードが速いと旋回が大きくなる。車もスピードを出して曲がると大回りするでしょう。それと同じです。零戦はグラマンの半分くらいで旋回できました。ただ、グラマンの場合は機銃弾が20ミリメートルですが、零戦は13ミリメートル。20ミリメートルだったら1発で撃墜できますが、13ミリメートルだと燃料タンクに当てるか、後ろから5・6発で操縦士を狙わなければなりません。──空中戦で米軍の飛行機を撃墜したのですか。私はグラマンを1機だけ撃墜しました。沖縄の攻撃というのは、沖縄本土での攻撃ではなく、艦船攻撃です。ですから輸送船を攻撃するのですが、アメリカの軍艦は対空砲火がものすごい。船全体に高射砲を装備していて、それが一斉に火を噴くんです。──鹿屋での食事はどうだったのでしょうか。やはり、食べ物には恵まれていました。普通の兵隊は朝昼晩と食事の時間が決まっているでしょう。私たちの場合はいつでも食べられました。飛行機に乗っていると時間通りに食べられませんから、特別でした。贅ぜいたく沢もしましたよ。操縦するときは居い眠ねむり防止用といって、かわり玉という大きなあめ玉を5つくらい持って搭乗129未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊