ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
136/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている136ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ありましたらお願いします。戦争中、そして戦後の苦労は並大抵のものではありませんでした。私も生きて帰るなんて全然考えていませんでしたから、戦後はとにかく死んだつもりで頑張りました。今の若い人たちは苦労を知りません。時代が違えば考え方も違うと思いますが、もう少し苦労して勉強したほうがいい。何でもへこたれないこと。自分がこうだと思ったことをまっとうすること。とにかく頑張っていただきたいと思います。あの頃は、とにかく米さえあればいいという状態でした。東京では栃木の実家から米を送ってもらったり、取りに行ったりしていました。それでもたまに汽車の中で警察に捕まることがありました。大宮駅などで乗客全員の荷物検査があり、米などの食糧が没収されてしまうんです。私も何回か捕まって米を没収されたので、いつか仕返しをしてやろうと思い、袋に砂を入れてわざと見つかるように持っていたことがあります。「米だろう」「いや、砂です」というやり取りはしますが、警察は車内では袋の上から触るだけで、実際には開けて見ません。赤羽駅で荷物が全部下ろされ、駅前に敷かれたシートの上で袋を開けるのですが、「開けてぶちまけても文句を言わないか」と聞くと、「文句を言わない」と言うので、袋のひもを解いて一気に開け、ザーッと砂をまいてやりました。そうしたら慌てて「やめろ、やめろ!」と。──写真店のお仕事はいかがでしたか。当時、写真を扱うところがなく、東京の写真の処理はほとんどうちがやっていました。とにかく忙しかったです。家内も運輸省から帰ってくるとお店を手伝っていました。従業員は5人くらいいましたが、忙しくて1週間一睡もできないこともありました。私は今こうやって90歳になるまで生きていますが、戦後はとにかく死んだつもりで何でもやりました。それくらい頑張ってきました。──お二人から、若い人たちに伝えたいことが写真左から、泉さん、谷垣さん、小野寺夫妻、大須賀さん132未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集