ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

子供の頃に二・二六事件を見る──まず、信太さんご自身についてお聞かせいただけますか。大正12(1923)年生まれ、今年で92歳になります。昭和19(1944)年1月に軍隊に入り、昭和20(1945)年9月に復員しました。終戦後は酒屋の商売を継ぎ、7、8年前に店を閉めました。──ごきょうだいは何人ですか。9人きょうだいで私がいちばん上です。私とすぐ下の弟が兵隊に行きました。弟も無事に帰ってきました。幸いなことに、家族は戦争で誰も亡くなっていません。──住んでいた場所とその当時の町の様子をお聞かせください。住まいはずっと九段北です。小学校は富士見小学校です。軍国主義ですから、天皇陛へい下かは神様だという教育でした。それが頭から離れないですね。武道館は近この衛え歩兵第1連隊といって天皇陛下の親しんえいたい衛隊の建物でした。たしか小学5・6年生のときに二・二六事件がありました。あの日は大雪で、学校を早引けして帰ってきたときにその様子を見たのを覚えています。各地区から軍隊がどんどん九段へ入ってきて、九段下の交差点は銃を立てた兵隊で大変でした。──九段下のあたりが兵隊だらけだったのですか。そうです。政府側の応援をするために、地方の軍隊がみんな入ってきました。当時は日本の政せい情じょうも悪かった。だから、陸軍の若い将校たちが見るに見かねてなんとかしようとクーデターを起こした。今の九段会館が戒かいげん厳司令部になりました。「兵たちに告ぐ。お前たちは逆ぎゃく賊ぞくにな銚子の連隊から復員し、闇商売で家族を支えた昭和19(1944)年、学生のときに召しょう集しゅうされ、横須賀と銚ちょう子しで軍生活を送った信太衛さん(92歳)。復員後は、大学に通うと同時に闇やみ商売も行いながら家族を支え、家業を継いで85歳まで酒屋を経営。軍隊での経験や食糧難に苦しんだ終戦後の生活についてうかがいました。信太衛しだまもる九段北インタビュアー松野和寛(区内在勤者)三輪田颯真(中学1年生)吉岡さくら(高校2年生)133未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊