ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
138/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている138ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

るぞ、すぐに原げんたい隊に帰れ」といった内容のビラがまかれていました。──小学校を卒業してからはどうされたのですか。富士見小学校を卒業して、白山にある私立の京けい華か中学校に進学しました。当時は旧制中学校ですから5年制です。中学は私立や官かんりつ立があり、みんな試験を受けなければ入れませんでした。試験勉強は大変で、私も塾にずいぶんと通いました。中学校を卒業してからは早稲田大学の専門部に進学しました。今で言う短大のようなものですね。その頃、学校には軍隊が「兵隊に出ろ」とよく勧かんゆう誘に来ていました。半年もしたら将校になれますし、また特に海軍は格好いいのですよ。ボタンのついた白い洋服を着て、短たんけん剣をぶら下げて。私は志願しませんでしたが、同級生はみんな憧あこがれてずいぶん軍隊に入りました。ただ、私も専門部の学生のときに召集され、軍隊に行くことになりました。──召集令状が届いたときはどのようなお気持ちでしたか。赤紙が来るというのは知っているから、「ああ、来たな」と思いました。それまで天皇は現世の神様だという教育を受けているでしょう。だから、黙だまって受けるしかないです。逃げようものなら非国民と言われ、憲けんぺい兵が来てすぐお縄になってしまう。逃げるなんてことは絶対にできません。──誇ほこらしい気持ちより、しかたないという気持ちなのでしょうか。みんな「元気で行ってきます!」と言っていますが、心の中ではそう思っていたのではないでしょうか。──出しゅっ征せいの見送りはどのような様子だったのですか。最初の頃は国防婦人会などの女性が割かっぽう烹着ぎを着て、旗を振りながら盛大に送り出していました。でも、私たちが出征する頃は、「スパイがどこにいるか分からないから派手な見送りをするな、そっと出征してくれ」と軍に言われました。そういう状況でした。横須賀の連隊での訓練生活──軍隊に入ってからのことをお聞かせください。私はまず、横須賀の重砲兵連隊に入りました。重砲というのは大砲のことです。砲兵として配属されました。訓練で扱う大砲は、直径15?30センチメートルの大きなものです。だいたい15センチメートルが多いのですが。大砲は牽けんいんしゃ引車で引っ張るんです。重いのは何トンとあるから、馬8頭くらいで1台の大砲を引っ張ります。大砲には榴りゅう弾だんほう砲と加か農のんほう砲があります。榴弾砲というのは、弾を飛ばすと途中でバラバラになり、その下を歩いている人馬を殺傷します。加農砲はぶつけて破裂させるものです。大砲は遠北の丸公園の旧近衛師団司令部庁舎(現在は東京国立近代美術館工芸館)戒厳司令部となった九段会館134未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集