ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

くへ撃つでしょう。そのために、観測班、通信班、砲ほう士し班はんの3つに分かれ、観測班は三角関数のサイン・コサイン・タンジェントを使って測量し、それを通信班が通知し、砲士班が場所を決めて撃ちます。私は通信を担当していました。通信には手旗信号とモールス信号があります。1期の訓練が約3カ月間で、信号の訓練が3カ月ありました。1期の訓練を終えると試験のようなものがあり、また訓練。それからだんだんと位が上がっていきます。──軍隊での生活はどのようなものでしょうか。内ない務む班はんというものがあり、みんなで居きょ住じゅうするのですが、廊下が1つあってその脇に10くらいの部屋が並んでいます。1部屋に20?30人が寝泊まりしていました。私が行った横須賀重砲兵連隊には全部で1000人くらいいました。午前中は学科、午後は演習、夜は銃器の手入れです。それから訓くん示じがあって、1週間のやり方などいろいろと言われます。食事が終わってからは毎晩、営えいてい庭で30分くらい軍歌を歌います。そして就しゅう寝しんです。寝具にはノミや南なんきんむし京虫がいましたが、疲れ切っているからすぐ寝入っていました。──訓練で辛かったことはありますか。軍隊では相当しごかれました。ほふく前進がいちばん辛つらかったです。銃を持ち、地面にはいつくばって、50?150メートルもやらされますから。軍隊というところは、暑いときは暑いところ、寒いときは寒いところで訓練を行います。なにしろ、上官の命令は天皇陛下の命令ということになっていますから、絶対服従です。「お前たちは戦地に行きたいか、行きたくないか」と上官に言われたことがあります。「行きたい」と答えて本当に行かされたら困ると思い、逡しゅんじゅん巡していたんです。そしたら、その日の晩にひどいいじめを受けました。目から火が出るくらい殴られました。──軍隊でいじめがあるのですね。密みっぺい閉された閉へい鎖さ的な団体生活ですから。ネチネチはしていないけれど、「シャケ」「セミ」「ウグイスの谷渡り」など、いろいろないじめがありました。「シャケ」というのは、「よし」と言うまで、懸けんすい垂のようにずっとぶら下がっている。「セミ」は柱にかじりついている。「ウグイスの谷渡り」は、ウグイスの鳴き真似をするという精神的ないじめですね。でも、いちばん多いのはビンタでした。──軍隊にいたときに楽しかったことはありますか。そのようなことを考えられる余裕はなかったです。でも、入隊して3カ月ほどたってから親が面会に来てくれました。それまで音信不通でしたから、そのときは嬉うれしかったですね。あと、訓練で遠出することがあったのですが、少し遠足みたいでしたね。ただ歩いて行って帰ればよかったのでそれは楽でした。近衛師団皇室の守護と儀仗(ぎじょう)を主な任務とした旧陸軍の師団。全国から選抜された優秀な兵士で編成され、司令部は皇居北の丸にあった。135未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊