ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

銚子の連隊ではひたすら穴掘り──その後、横須賀からどちらかへ移動され、どのような訓練を受けていたのですか。横須賀に半年くらいいて、それから沿えんがん岸防ぼう備び隊たいとして千葉県の銚子へ配属されました。銚子ではほとんど訓練はやりませんでした。砲台を作るための穴掘りばかりです。毎日、地元の人を呼んで一緒に穴掘りをやりました。若い男女がたくさん来て手伝ってくれました。大砲といっても、もう明治式のものしかありません。でも、米軍が太平洋からくるのを防備するために、それを岩の間に据え付けました。──すべて手作業なのですか。そうです。穴を掘るといっても、魚屋さんが持っているような天てんびんぼう秤棒の両端にモッコ(ワラで編んだ、土などを運ぶもの)を下げ、シャベルで土を掘って運ぶんです。さらに、靴がないから裸足で作業を行いました。靴は米軍が攻めてきたら履はくように言われていました。──銚子では空襲などはありませんでしたか。銚子も、昭和20年の7月19日にB29の攻撃を受けたんです。東京みたいな空襲ではありませんでしたが、ところどころ燃やされました。その2、3日前には水戸へ艦かんぽうしゃげき砲射撃がありました。私たちが就寝していたら、銚子までドカンドカンとすごい音が聞こえてきました。機き銃じゅう掃そうしゃ射に遭あったこともあります。そのときは軍隊が利用していた小学校にいたのです八九式十五糎加農砲(南城市教育委員会文化課提供)136未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集