ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

肉を砂糖としょうゆで煮てある牛缶がいちばんおいしかったですね。──8月15日の玉ぎょく音おん放ほうそう送はどちらで聞かれたのでしょうか。銚子の軍隊で聞きました。若い連中は「本土決戦だ!」と騒さわいでいたらしいです。もし本土決戦があったら、私も命があったかどうか分かりません。玉音放送を聞いたとき、最初は内容が分かりませんでした。負けたという感じがしなかったですね。そのうち「降こうふく伏」と聞こえたから、とうとう負けたのかと。そうしたら、「全面的に無条件降伏」と聞こえたから、これはもうどうしようもないと思いました。私たちは兵隊だから捕ほ虜りょになるのかもしれない。私には親もきょうだいもいるから、自分がどうなるのか、そのことが心配でした。──それから復ふくいん員されるまで、どうされたのですか。穴を掘って軍事機密になっている重要書類などを燃やしました。軍隊手帳などもみんな焼きました。米軍は「鬼き畜ちくべいへい米兵」なんて言われていましたから、何をされるか分からないと思っていたんです。そうして、9月10日頃に復員しました。軍隊は紙一重です。同級生で一緒に出征した友人がいましたが、彼はシベリアへ連れて行かれて死んでしまいました。聞いている限りでは、硫い黄おう島とうで死んだり、サイパンで死んだりいろいろでが、校舎を出たときに本当に低いところを飛んできました。米軍の操縦士の顔が見えましたし、すぐそばで薬やっ莢きょうが落ちる音まで聞こえました。もう逃げるので精一杯で、壁に張り付いてなんとか助かりました。──軍隊での食生活について教えてください。銚子には海軍と陸軍がいましたが、食べ物は大きく違いました。海軍のほうが給与もいいし、麦飯が食べられて、甘い物も多かったと聞いています。私たち陸軍も最初の頃は麦飯でした。終戦が近くなってからだんだん食糧事情が悪くなってきて、コウリャン飯になってしまいました。コウリャンというのは満まん州しゅうで食べられていた真っ赤な小さな穀物です。食えたものではありません。終戦の年は大干ばつで作物が採れなかったから、余計に食糧がなかったんですね。──軍隊でお酒を飲む機会はありましたか。ありましたよ。1週間に3?4回はお酒が出ましたね。ビールは20?30人に1、2本しかないから回ってきません。私たちに回ってくるのはお酒です。ご飯を炊たく飯はん盒ごうの蓋ふたに入れて飲むんです。まんじゅうなども1日おきに出ました。たばこも出ましたね。私は吸わないから、まんじゅうと交換していました。──一般市民だとお酒や甘い物はあまり手に入らなかったと思うのですが、軍隊ではそういうものも出たのですね。ある程度は出ました。終戦が近くなると出なくなりましたけれど。缶詰もありましたね。牛137未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊