ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

──終戦後、他に何か記憶に残っていることはありますか。実は、私はアメリカの世話になったことがあるんです。兵隊でしごかれて、復員したら食糧がないでしょう。結けっかく核になってしまったんです。喀かっけつ血して、肺に空洞があいていました。昔は結核になったらサナトリウムなどに入り、あとは死ぬのを待つだけです。でも、そのときにアメリカがよい薬を持ってきたんです。ストレプトマイシンという抗生物質です。あるところから手に入れることができ、20本打ってもらったらすっかり治りました。結核は死の病と言われていましたから、医者もびっくりしていました。九死に一生を得ましたが、こればっかりはアメリカのおかげだと思っています。──最後に、僕たち若い世代に伝えたいことがありましたらお願いします。戦争は悲ひ惨さんです。勝っても負けても悲惨です。戦争は二度とやってはいけない、それだけははっきりと言っておきます。物のしょうゆを代用しょうゆと偽いつわって販売したため警察に捕まってしまって。警視庁に引っ張って行かれて書類を書かされました。あとから罰金を徴収しにくるだろうと思っていましたが、しばらくしたら統制が廃はい止しになりましたからよかったです。──そうまでしてでも食べ物を持って行かないといけない時代だったのですね。何でも食べました。芋のツルや葉っぱまで食べました。もちろん、おいしくはありません。大根おろしをするように、芋を裏ごし器みたいなものですり下ろして片かたくり栗粉こ用のでんぷんを取るのですが、すった後にカスが残るでしょう。それをまんじゅうに入れて食べました。食えたものではなかったですが、闇市ではそれまで売れました。ザリガニはたくさん捕とれましたが、あれはおいしかったですね。──きょうだいが多いと、食べ物を調達するのも大変だったのではないでしょうか。私は終戦後、すぐに専修大学の経済学部に入りました。もともとうちは酒屋ですが、すぐには商売できないですから。それで、学校に行きながら千葉の田舎に通い、食糧を調ちょう達たつしてきょうだいたちを食べさせていました。そうして、昭和22(1947)年9月25日に大学を卒業しました。卒業すれば学校の先生か計理士になれると聞いていたのですが、仕事が全然ない。そのうち、うちの商売が再開したのでお店を継ぐことになり、85歳で閉めるまで働きました。写真左から、吉岡さん、信太さん、松野さん、三輪田さん139未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊