ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

高等学校)を経て、神田の東京商業高等学校(一はもちろん、電信柱の立て方から電線の敷設まですよ。そこから京橋商業(現・都立晴海総合通信全般に関わることですから、通信の方法そこは江戸時代に加賀前田家の学問所だったん──訓練はどのようなものでしたか。芳林尋じん常じょう小学校、今の昌平小学校です。あ──学校はどちらですか。あ和った15(電1信9第41 0連)隊年に3入月隊にし通ま信し兵たと。して中野にかったですよ。ただあまり体は丈夫じゃないということで、昭ますね。戦前は百科事典なども手がけて、忙しを走って見せたら、「まあ大丈夫だろう」と(笑)。(1880)年ですから、もう135年になり13「ちょっとそこを走ってこい」と言われて広場3代目が神田で印刷業を興おこしたのが明治合格できるか危ぶんでいたのだけどね。軍医にすが、明治になって東京へ出て来たそうです。いたので、甲こう種しゅ(身体頑強で即入営できるもの)私の家はもともと加賀藩の家臣だったそうでいたとき球の当たり所が悪くて肋ろく膜まく炎えんを患わずらって──ご実家は、長く続く印刷会社だそうですね。を受けに行きました。私は学校で野球をやって私が生まれた頃は、神田山本町といいました。が当たりですか。当時は前で20歳しにたなかっらた。ら私、ちも徴ょう神兵へい田検区査役を所受へけ検る査の──永井さんは、ずっと外神田にお住まいなのしょう。──軍隊に入ったきっかけは、何だったのでビンタの受け方から教わる新兵の訓練橋大学の前身)に通いました。後の抑よく留りゅう生活など貴重なお話をうかがいました。たインパール作戦へ突入。苛か酷こくな戦場での経験、また戦歳)。しかしその後、所属する部隊は、多大な犠ぎる地元民と温かな交流も持ったという永井孝之さん(牲せいを出し96ミャン昭和マー15() 1の9村4に0)駐ちゅ年う留りゅにうし召て集い。た通間信は兵、と同しじて仏ビ教ル徒マで(あ現・インパール作戦に通信兵として従軍ながいたかゆき永井孝之外神田インタビュアー安田律子(大学院2年生)長嶋泰(大学1年生)伊藤爽(高校3年生)未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集140