ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

て、あれはごちそうでしたね。他には、野ゾウを食べたこともあります。──えっ、ゾウですか。その辺りの村をたばねる族長みたいな人が、象牙を取りたいから鉄砲で撃ってくれと。まだ戦況が厳しくなかったから、そんなこともできたんだね。そしてゾウの肉は、現地のやり方だと10日くらい煙でいぶして、それから焼いて食うんです。しかし私たちには成分が強いんだか、腹痛を起こす仲間も多かったですよ。──他には、どんな思い出がありますか。現地ではみんな水浴びで済ますから風呂というものがないんです。あるときどうしても入りたくなって、ドラム缶を下から焚たいて風呂を沸かしました。そのときも、村のおばあさんが珍しがって見に来たから、服を脱がして背中を流してやったら、「気持ちいい」と言ってましたよ。軍に支給された石けんを使ってやったけど、石けんで洗われたのも初めてだったでしょうね。ネズミも食べて生き延びた──村での暮らしは、どのくらい続いたのですか。約10カ月です。その後、前線へ向かう連絡所だったアキャブへ赴任。そこからビルマ方面軍司令官河辺正三中将に率いられ、連合軍の反攻基地だったインパールへ向かいました。──行軍は徒歩ですか?アラカン山脈はトラックで越えて行きました。道路はあっても断だんがいぜっぺき崖絶壁ですから、ずいぶんと恐ろしい思いもしました。道路沿いにはイギリス軍が電柱を立てていたのだけど、撤退する前に自分たちで爆破していったから、私たち通信兵はそれを直しながら電線を敷設していったんです。──ビルマの山中では野獣も多かったそうですが。トラやヒョウはいましたが、向こうも大勢の人間がいれば怖いから滅めっ多たに出て来ない。危ないのは少人数が出会い頭に襲われることで、がぶっとやられて引きずられて行けばもう助かりません。山中の行軍よりも厳しかったのは、草原へ出てからの退却戦です。「靖国街道」(戦死者は靖国に祀まつられることから、戦死に直結する場所である意)は何もさえぎるものがない草っぱらですから、陸と空から砲撃されたら隠れるところがない。戦車が10台20台、一気に攻めて来ることもあった。それをわずかな草むらや岩の陰に身をふせて、やり過ごすしかないのです。──インパール作戦は、補給が断たれたために餓がし死する方も多かったと聞きます。イギリス軍が輸送機から投下する食糧(チャーチル給与)を、決死の覚悟で拾いに行って、飢えをしのいだこともあります。住民が逃げてしまった集落に運良く籾もみが残っていたら、それをついて米にして食べたり。川で魚を釣ったり、集落ではネズミも取って食べました。──ネズミですか。インパール作戦第二次世界大戦時、日本軍によるインド進攻作戦の名称。主にアメリカ、イギリス、ソ連が中華民国を軍事援助するルートの遮断を戦略目的とし、インド北東部の都市インパール攻略を目指した。昭和19年3月?7月初旬まで遂行されたが、補給線を軽視した無謀な作戦であったため、多数の犠牲を出し歴史的な敗北を喫した。143未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記軍隊