ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

半で帰されちゃった。それで命が助かったのか。その後、B29で土浦が爆撃され、多くの友を亡くしました。私は小岩に戻っていて助かったわけだが、はたしてそれが良かったのか。皆と死んだほうが良かったのか。──除隊になった時はどんなお気持ちでしたか。泣きましたよ。泣いて泣いて一晩泣き明かしました。身体が訓練に耐えきれないと言われて帰されて。爆撃はその後すぐでした。予科練生182人が亡くなりました。助かったことが嬉うれしいやら、皆が死んでしまったことが悲しいやら…。それも運命かもしれません。こうして生きて、話を伝えることができるんですから。大空襲後の街で見た悲惨な光景──除隊後、小岩に戻ってからの生活は。戻って間もなく、1週間くらいして東京の爆撃でした。本当にすごかったですね。もうボカンボカンと、今考えても身震いするくらい。──空襲の時はどう対処していたのですか。うちは前が愛国女学院の校庭なので、そこに逃げていました。近所の人たちは防ぼうくうごう空壕です。サイレンが鳴ると電気を消して、いっせいに入るんです。──3月10日の大空襲も小岩でしたか。そうです。B29が来て、家は無事でしたが、小岩もそこらじゅうに焼しょういだん夷弾が落ちていました。校庭にも2つばかり落ちました。その時、西の方を見ると真っ赤に燃え上がっていて、それはすごかった。蔵前のあたりは真っ赤でした。2週間ほどたって、隣の伊藤さんが、親族がそっちに住んでいるから安否を確かめたいということで、一緒に京成電車に乗り、上野で降りて蔵前まで歩きました。その惨さん状じょうはもう…。隅田川一杯に死体が浮いているんです。川の面が見えないくらい。伊藤さんの家族を探しましたが見つかりません。その時に見たのは、焼けてしまった妊婦さんのお腹なかから赤ちゃんが半分出ている姿でした。それはもう、今も頭から離れません。帰りは亀戸まで歩きました。すると亀戸のガード下に人間の焦げ跡がいくつもこびりついている。見るに堪たえないものです。帰ってからも1週間くらい死臭が取れませんでした。東京大空襲とは、そういうものだったんです。皆、苦しんで苦しんで死んでいきました。一瞬で亡くなるのも辛つらいことですが、苦しみながら死んでいくのはもっと大変です。戦後、最も大変だったのは食糧難──玉ぎょく音おん放ほうそう送はどこで聞きましたか。その時、どう思われましたか。小岩の自宅で聞きました。泣きましたよ、本当に。あれだけ空襲を受けたのだから、もうだめだなとは思っていましたが、やっぱり悔くやしい。皆、泣いていました。これから世界はどうなるのか、それがまず頭に浮かびました。終戦になっ150未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集