ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

トした油だから、くっつくと取れない。──油脂をゲル状に加工してあったそうですね。川島コンクリートのような硬い地面に信しんかん管が当たると、その油脂がぶわーっと高く上がるんです。あるとき水道橋の近くの日大の校舎に焼夷弾が落ちたのを見たけれど、校舎よりも高々と吹き上げるんだから恐ろしいよ。長谷部当たった瞬間に火がついて、火柱がわっと上がる。川島線香花火をご存じだろうけれど、あれを逆さにして、火花を放つ火玉の大きいようなのが上空からどんどん降ってくると想像してみてください。その火玉が地面の上で燃え上がるんです。長谷部焼夷弾は、ときどき不発のものもありましたね。川島舗装されていない土の上へ散ると、刺さったまんまで爆発しない。その不発弾を、神保町の交差点にあった交番の前に飾ってありましたよ。みんな通る人が見ていったりして。その頃はまだ、余裕があったんだね。防空壕の跡に立つ「焼けぼっくい」の正体は長谷部サイパン島が陥落してから様子ががらりと変わった気がします。川島それからはもう、B29の独どくだん壇場じょうですよ。大きな機体に爆弾をいっぱい積んで、毎日のようにやってきました。長谷部バケツリレーは、学校の教きょう練れんでもやらされましたね。川島空襲も最初のうちは中高度から軍事施設なんかを狙って爆撃していたから、撃ち落とされる敵機もけっこう多かったでしょう。長谷部後楽園に高射砲(高射砲第一一八聯れんたい隊)があって、B29にもけっこう当たっていた。学士会館の屋上には機関砲があって、夜間になると曳えい光こう弾だんがとっとっとって撃ち上がるのが、家から見えました。川島麹町のお堀の向こうに、B29が落ちたときがありましたね。遊び半分で見に行っちゃ怒られるかと思って、行かなかったけれども。──日本も、最初の頃は応戦していたのですね。川島ただ向こうも利口だから、終ついには飛行機の下に厚いゴムを張って弾が当たっても機内まで入らないようにしていたと、戦後になって聞きましたよ。日本の飛行機はB29ほど高く飛べないから、機体の上は守らなくていいんだ。長谷部戦争末期になると、高い高度からの無差別な空襲が多くなってきましたね。川島昼間は、1万メートルだか上空を飛んでくるからすごく小さくしか見えない。偵ていさつ察に来るんだろうけど、あれはしゃくにさわったね。そうして目標を定めておいて、夜間に大量の爆弾や焼夷弾を落として行くんだから。長谷部焼夷弾というのは、嫌な爆弾でしたね。六角柱の形をしていて、お尻の方の信しんかん管が押されると油ゆし脂がびゃっと出て来る。すごくベトベ川島そうそう、私の記憶でもそうなんだけど。この前「昭和館」で調べたら、B25って書いてあるんだよ。おかしいなあと思ったんだけど、長谷部さんもそうおっしゃるなら私の記憶違いじゃないのかな。ただB17もB25も大きな爆撃機じゃないから、爆弾の数は少なかった。だから最初のうちは、空襲があっても火災はあまり大きく広がらなかった。最初の空襲で中坂の民家が燃えたときも、「婦人会がバケツリレーで消した」と、新聞に出ていたものです。155未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記座談会