ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

らビスケットが届いたことがあります。人数が多かったので、3枚しかもらえませんでしたが、少しずつなめながら1週間くらいかけて食べた記憶があります。そうして、私たち6年生は卒業するので、翌年の2月24日に東京に帰ってきました。夜行列車で帰るのですが、灯あかりが漏れると空襲の標的になるからというので、窓の鎧よろい戸どを全部下げていました。寒い日だったので、町の人が「ポケットに入れなさい」とふかした熱いジャガイモを2個ずつ持たせてくれました。「これをあんか(小型の暖房具)代わりにして、東京に着いたら食べなさい」と。それで25日に東京に着いたら、その日に空襲があったでしょう。雪と灰が一緒になって落ちてきました。荷物はチッキというのがあって別に送るのですが、駅に取りに行ったら駅も荷物も焼けていたという人もいました。1年生のとき親元から離れて雪国へ──小林さんの縁故疎開の話をお聞かせいただけますか。小林私は小学校1年生のときです。1・2年生は集団疎開の年齢に達していなかったのですが、友達がみんな縁故疎開でいなくなっちゃうものですから、疎開ってよほどいいものかと思って親に行きたいと言ったんです。今でも覚えていますけれど、昭和19年の12月8日、おやべて干していました。私は班長だったからみんなを仕切っていたんですが、身体が大きくて目立ってしまうから、小さい子たちを仕込んでとってこさせていたんです。「ガバッととってくるなよ、少しずつとってこい」と。そうしたら、結局ばれて。先生から「お前がこういうことをするとは思わなかった」と言われたのがきつかったですね。「お前はこういうことを絶対にしないと思って任せていたのに」と、先生が涙ながらに言いました。ぶん殴られるかと思いましたが、片手に水を入れたバケツを持って立たされました。両手で持っていればバランスがとれるのですが、片手で持って立たされるほど辛いことはない。持ち替えてはいけないですから。1時間くらい立たされました。でもそれよりも、先生からの「お前を信用していたのに」という言葉が効きましたね。6年生でいただいた先生の最大のお言葉です。先生のその言葉だけは忘れられません。昭和19?21年までは日本が猛烈に寒かった年なんです。1週間に何回かお風呂屋さんに行くのですが、帰りに手ぬぐいをあまり絞らないで持って歩くと凍るんです。それでチャンバラをしながら帰っていました。縁があって去年原ノ町を訪ねることができたのですが、そんな話をしたって町の人たちは全然信じてくれませんでした(笑)。食べるものはやはりなかったです。日に日にやせ衰えていきました。疎開中に、皇こうごうへい后陛下かか疎開先の原町国民学校での小学6年生全員の集合写真榎本さんが集団疎開した原町国民学校162未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集