ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

私は疎開先で差別されたんです。原ノ町にいたときは差別されなかったのですが、中学生になって今度は栃木県の那須村(現・那須町)に疎開しました。旧制大田原中学校に入りましたが、そこで、焼け出されの疎開人と言われ、ひどい目に遭いました。子供の頃はトラウマみたいになりましたね。東京から疎開した連中は「東京人」とか「疎開人」と言われました。なにしろ、先生まで言うんですから。例えば、先生が問題を出して、「分かった奴やつ、手を挙げろ」と言うから「はい」と手を挙げると、「なんだ、疎開人のくせに分かるのか」と。田舎の子は1歩2歩引いてから言うところを、東京の子はズバッとすぐ言っちゃうんですよね。しかも江戸っ子ときていますから(笑)。軍事教官なんて、「疎開の奴は1歩前へ」と言って、いちばん悪い仕事を押しつける。とにかく、そういうふうに疎開の連中は差別されました。といっても、玉ぎょく石せきこんこう混淆で疎開した人の中には悪いのもいたし、私たちは無一文でやって来ているから、地元の人から見たらやっかいなお荷物だという気持ちもあったんでしょうね。この差別を跳はね返すにはどうしたらいいかと、疎開の連中だけで集まって相談しました。そして「学内で陸軍幼年学校を受けるための選抜試験があるからそれを受けよう」と、みんなで勉強して受けたんです。そうしたら、疎開の連中がほとんど通った。それも比較的上位に入キロメートルくらい離れたところにありました。冬は雪道を毎日通って。吹雪のときなどは、帰りの時間に合わせて村から誰かが迎えに来て、みんなで行列して帰りましたね。榎本親しんせき戚の家では差別なく扱われたということですが、学校などまわりはいかがでしたか。小林特にそういうのは感じなかったですね。小学校で「東京から来た」ということは何回か言われた記憶がありますけれど、辛い思いはしなかったです。それよりも親と離れていたからそれが淋さびしかった。当時、私は弱虫だったものですから、伯父さんや伯母さんに言いたいことが言えないということがありました。いちばんよく覚えているのは、お腹を壊こわしたときです。ちょっと寝ねまき間着を汚してしまって。伯母に言えないものだから、近くの水路で自分でこっそり洗濯しました。やっぱり自分の親とは違いますから。今になってはそれも懐かしい思い出です。食べ物については、米農家ですからお米だけはありました。おかずは古漬けやみそ汁などたいしたものは食べていなかったと思いますが、ひもじい思いはしませんでした。むしろ、東京に帰ってきてから食べるものがないというのを経験しました。終戦後にお腹がすいていたのは皆さんと同じです。「疎開人」と差別を受ける榎本さきほど差別という言葉が出ましたが、じと一緒に上野から夜行列車に乗り、上越線で越後川口まで行って、そこから飯山線に乗りかえて十日町へ行きました。伯父の家まではそこから2里(約8キロメートル)ありました。あの年は雪が本当に多かったそうで、1丈(約3メートル)降ると言われました。今みたいに車がない時代なので、道の両脇の家がみんな屋根から雪を下ろすものだから、歩くところが高くなっています。雁がん木ぎという軒先みたいなところを歩いて向かいました。上野から夜行列車で発たったのに、現地に着いたのは翌日の夜になってからです。雪道は慣れないし、おそらくたいした靴は履いていなかったので足がぐちゃぐちゃになって、どこか途中の知り合いの家の囲いろり炉裏で靴下を乾かしたのを覚えています。伯父の家に着いたら家族が箱はこぜん膳を囲んでいました。農家ですから、入ったところに板の間があり、奥に囲炉裏があってそのまわりでみんながご飯を食べていました。そこには、お祖じ父いさんとおやじの兄夫婦と子供が6人くらいいて、その中に入ったわけですね。伯父たちは自分の家の子と差別しないで扱うということで育ててくれました。約1年いましたから、真冬の雪の深いときから雪が消えて田植えが始まって、稲刈りが終わるまでを経験しました。神田で生まれた人間にとっては農作業の経験は役立っていると思います。もちろん、当時はそんなことは思いませんが。集落は40戸くらいで、小学校はそこから1163未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記座談会