ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

う」と覚悟していたのだけど。今考えると、ばかばかしい覚悟だったね。戦死した兄貴たちも、無駄死にですよ。──そうした体験を経てこられて、僕たち若い世代に伝えたいことはなんでしょう。櫻井戦争とは結局、殺し合いです。人を殺あやめれば、殺めた人にも苦しみがある。そしてまず犠牲になるのは、底辺にいる弱い人たちです。偉い人たちは安全なところにいて、絶対に死なない。だから勝手なことを言うんですよ。僕が父の遺骨を取りに行ったとき、日本青年館に設けられた祭さいだん壇では、雛ひなだん壇の上の方に大将から順番に位が上の人たちの骨箱が置いてあって、遺族に返される順番も先でした。上等兵だった父の遺骨は、ずっと下の方に安置されていて、渡されるのもずっと最後のほうだった。それでも「遺骨があるだけいい」と言われたのですから、本当にひどい時代です。女部田戦争は、よしましょう!戦争ほど無残なことはないです。日本は資源はない、食べ物を作るにもこれだけの土地しかないんだから。みんなで協力してね、平和に生きていくのがいちばんです。櫻井日本だけでなく、世界中から戦争がなくなってくれたらと僕は思います。そのためにも、若い皆さんがしっかりと勉強してくれたら嬉うれしいですね。櫻井毎日、食べること、なんとか生き延びることだけしか考えていませんでした。女部田死ぬ危険は、空襲だけではなかった。私は本郷から千早に越した頃、大腸カタルにかかって死にかけているんですよ。1日8回も真っ赤な便が出たけど、医者にもかかれない。近所のお灸きゅう屋やでお灸を打ってもらって、何とか便は止まったものの、8月の暑い最中に、部屋の窓際にただ横になっているしかありませんでした。最後はもう、涙も出なかった。櫻井それは辛かったでしょう。女部田そこへ偶然、東京に用事のあったおやじが訪ねて来たんです。それで前橋に連れて帰ってもらったから、なんとか命がつながったのだと思います。──それが終戦間際のことだったのですね。女部田ですから、玉ぎょく音おん放ほうそう送は前橋の親戚の家で聞いたんです。櫻井僕も、疎開先の浦和で聞きました。家のラジオはガーガーと雑音ばかりでよく聞こえないので、庄屋さんの家で聞かせてもらうため、叔父と畦あぜみち道を走って行きました。でも放送には間に合わなくてね。元軍人さんだというおじいさんが、1人で座敷に座っていて、静かな声で「日本は、負けました」と。叔父は、「そうですか、負けたんですか」と答えていました。女部田自分も、「ああ終わったか」という気持ちでしたよ。同級生には予よか科練れんに行った者もいるから、「そのうちオレも戦争に行くんだろ写真左から、吉岡さん、女部田さん、櫻井さん、三輪田さん173未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記座談会