ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
18/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

写真で見る戦争の記憶特集3 ?戦時下の学童・生徒第1部戦時下の子供たちは、どのような暮らしをしていたのでしょうか。現存する数少ない写真を見ると、そこには食料に乏しくても、遊び道具はなくても、たくましく育ち、学び、生き抜いている姿がありました。千代田区域からの学童集団疎開先山梨県北杜市韮崎市甲斐市甲府市山梨市神川町錦華小170人本庄市神田小67人錦華小299人上里町神田小238人小鹿野町甲州市秩父市丹波山村神川町本庄市長瀞町皆野町小菅村上里町横瀬町美里町寄居町東秩父村飯能市深谷市小川町嵐山町ときがわ町行田市橋本小236人越生町毛呂山町大月町麹町小104人東郷小78人熊谷市滑川町鳩山町日高市東松山市坂戸市鶴ヶ島市入間市行田市吉見町狭山市川越市所沢市羽生市西神田小275人鴻巣市川島町羽生市北本市桶川市上尾市加須市ふじみ野市富士見市志木市三芳町朝霞市加須市千桜小492人西神田小80人久喜市白岡市伊奈町蓮田市和光市新座市さいたま市蕨市戸田市幸手市杉戸町宮代町川口市久喜市今川小273人芳林小183人幸手市芳林小191人小川小74人杉戸町小川小43人春日部市越谷市松伏町草加市さいたま市岩槻区練成小262人神龍小237人吉川市白岡市今川小78人春日部市小川小155人松伏町淡路小106人吉川市淡路小107人三郷市越谷市八潮市佐久間小218人八潮市佐久間小100人埼玉県南アルプス市昭和町中央市笛吹市大月市上野原市上野原市東郷小89人早川町富士川町身延町市川三郷町西桂町都留市富士河口湖町忍野村鳴沢村山中湖村富士吉田市道志村都留市麹町小216人山中湖村富士見小181人仕しに従じゅう事じしました。産の現場で働く労働力として、勤きん労ろう奉ほう南部町動どう員いんに駆かり出され、軍ぐん需じゅ工こう場じょうや食料生一方、中学生以上の生徒は学がく徒と勤きん労ろう旅館などの施設を決めていきました。富士河口湖町永田小297人と直接交渉して、学がく寮りょうとなる寺院やり与えられました。各学校は、地元田区は埼玉県東部に疎開先として割区のうち、麹町区は山梨県東部に、神千代田区の前身である麹町区と神田富士吉田市番町小121人富士見小246人ととなりました。たる児童を対象に、集団疎開させるこ東京都では小学3年生から6年生にあ(千代田区教育委員会『学童疎開からみる子どもたちの生活』および『千代田区教育百年史』に記載されている表をもとに作成)る「一いっ般ぱん疎そ開かい促そく進しん要よう綱こう」が定められ、いきよた本昭格和的に19(1944)年児童を都市から疎開させ3月、いよませんでした。しかし戦況が悪化して期ということもあり、あまり実践され進められましたが、実害がなかった時を地方の親類などに預ける縁えん故こ疎開がた。これによって、老人や幼児・学童「都と市し疎そ開かい実じっ施し要よう綱こう」が決定されまし月念ねんにさ都れ市るの中住、民昭や和建18(物1943)を分散させ年る12戦況の悪化で日本本土への空襲が懸け集団疎開が始まる未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集14