ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

次々と亡くなっていくような体験をなさっているはずです。どんなに悲しく悔くやしい思いだったかは、皆さんたち若者でなくても、なかなか伝えられるものではない。そのことも含めて、貴重な体験でしたね。長嶋はい、そう思います。家族をつなぐ、絆の強さ石川他には、どんなお話が印象に残っていますか。長嶋これも永井さんのお話なのですが、一度任にん期き満まん了りょうで軍ぐんえき役を解かれたとき、「このまま留まれば一階級昇しょう進しんが可能だ」と言われたけれど、それを断って帰ってきたそうです。その理由が、家族に会いたかったからだと。安田それでいて、戦争が終わってすぐに日本へ連絡をしたかというと、しなかった。「死んだという知らせは公こうほう報で行くだろうから、知らせがないなら、生きていると信じてくれるだろう」という答えでした。長嶋まったく違う話のようでいて、家族の絆きずなの強さというか、お互いを思い合う気持ちの強さを感じました。石川ご家族と離れて戦地に向かうのは、本当に辛つらかったでしょうね。安田残された家族のもとへ戦死の知らせが届いたときの様子や、そのときの悲しかった気持ちも、いろいろな方からお聞きしました。三輪田座談会でお話を聞いた櫻井守さんは、お父さんが戦死されています。今の自分よりももっと小さい小学生だったというから、本当に大変だっただろうし、悲しかったと思います。石川困難な時代を、家族で助け合って生き抜いたという体験談も多かったのではないですか。安田神田でお風呂屋さんをなさっていた冨川昭枝さんのお話が、印象に残っています。自宅が空襲に遭あったとき、お母さんだけは「店を守る」といって1人で残ったそうです。これは私の推測にすぎませんが、冨川家では次男の方が徴ちょう兵へいされていて、そのお兄さんが帰ってくる家を守りたかったのかなと思ったんです。長嶋逆にお父さんの方は、「戦争でばらばらになった家族が帰ってきたときのために、家がないと困るだろう」と言って、お母さんの大反対を押し切って隣町のお風呂屋さんを買い取るんですよね。石川どちらも、子供を思う親心のあらわれだと感じられるお話です。家族のために食べ物を用意するご苦労について、お話しされる方も多かったのではないですか。横山僕がインタビューした角田実さんは、15歳のときに清瀬市の方までサツマイモを買いに行った話をしていました。やっとたどりついた農家で次々と「もうないです」と断られ、どんどん奥の方まで歩いて行って、最後は「子供だからかわいそうだ」と譲ゆずってもらえたということでした。長嶋着物と交換でやっと手に入れた食料を、駅で見つかって没収されるという話は、理りふ不尽じんだと思いました。それで駅に着く前に窓から放り出して、それを別な人が回収するようになったなど、みんな知恵をしぼって生き延びたんだろうなと。石川戦後に、お堀の鯉を釣って食べたというお話もあったとか。長嶋日比谷公園に農園があったという話も面白かったです。千代田区でも、農業や漁業196未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集