ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

じめようと声をかけてくれたんです。資料がということを感じ取ってくれる。それが平和一の被爆国や友達とのなんでもない日常がいかに大事かすると戦後であ40年る目日、本知の人演の劇演人出と家しのて方何がか、は唯るの。戦争反対と声高に言うのでなく、家族できることはないか、ずっと考えていました。ですよ。でもそういうふうに受け取ってくれなこととして感じるようになりました。私にてくれました。そんな内容はどこにもないんろしいものか、知識ではなく自分自身の身近るけれど、明日からは仲良くします」と言っ渡辺はい。その時から私は原爆がいかに恐「私は今反抗期でお母さんとケンカをしていかったですね。ものが入っているんですが、ある中学生は、石川ご両親にお会いできたことは本当によ記録したカメラマンの話…朗読にはそうしたでしょう」と言ってくださいました。戦争詩人たちの詩、アメリカから来て戦争をがいてくれて、龍雄は本当に喜んでいること本であったのかって。体験した方たちの手記、族しかお皆すごく新鮮に驚くんです。そんなことが日かった。りま12歳せでん亡。くななのっにた龍35年雄もを忘知れるな者いは方家を話してくれる人がいないでしょう。だから「私たちは転勤が多く、龍雄には友達もいないし、祖父母と一緒に住んでいないから戦争本当に申し訳ございませんとお詫わびしたら、渡辺今の若い人は、ご両親は戦争を知らなクでした。辛いことを思い出させてしまい、墓も作れませんとおっしゃるんです。ショッち石も川、本平当成に心27年にの響3い月たによ一う緒でにす読。んだ子供たのはなにもないんです。だから、いまだにおんでもらっているんですよ。ない。龍雄くんが死んだことを証拠立てるもなぁと感じます。最だったんです。遺体も遺品もない。目撃者もは龍雄くんのために近は30中年学間生やにっもて一き緒たにん読だしていました。その場所が原爆の爆心地直下気持ちはもちろんですけれど、個人的には私くんたち中学1年生は建物疎開の作業に従事渡辺ずっと続けています。戦争に反対する龍雄はいませんでした」と。8月6日、龍雄石川その時から手記の朗読劇を?戦後ずいぶんたって帰ってきた時には、もう呼んでくれている。そう思いました。しくなったので広島に疎開したそうです。「終す、水永龍雄くんが。ああ、龍雄くんが私を験のため東京に行っていたけれど、空襲が激なった321人の名簿を見ますと、いたんで親は戦争中は満州にいて、龍雄くんは中学受りました。もしや…と巻末をめくって亡くた。龍の字を瀧と思っていたんですね。ご両―広島二中一年生全滅の記録』という本があ渡辺初恋の男の子の名は水みず永なが龍たつ雄おくんでしたくさん送られてきました。中に『いしぶみ国際平和都市千代田区宣言20周年記念事業として2015年3月14日に開催された「平和のつどい…未来へ」の様子。若者による平和メッセージの発表や、渡辺美佐子さんによる講演や朗読も行われたなってくれているのだと思います。犠牲になった何十万人もの人が、防波堤にさがあるから、どこも落とそうとはしない。言広わ島れでてい20万ま人す、け長れ崎どで、9そ万の人あがま亡りくのな凄すっさまたじとも渡戦辺争で原原爆爆が・水落爆ちをて使かっらて70い年な、い世で界すでよはねど。こ原爆を作った町ハンフォードでの原点だと、私は子供たちから教わりました。未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集206