ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

があるんです。そのほとんどは日本に輸出されています。公になったらチェリー農家はダメになっちゃう。だから緘かんこうれい口令が敷かれているんです。厳しく情報を統制されている。恐ろしいことです。すべてが透明で、誰もが分かっている中でそれぞれが判断していくという世の中にならないと。私の若い頃は何も知らされない情報統制の中で生かされていたから。そういうことのない社会にぜひともしていかなければというのが切なる願いです。継承していきたい不戦の思い石川千代田区ではこの20年、毎年、中高生10人ほどを広島・長崎・沖縄に平和使節団として派遣しています。現地を見て、語り部さんの話も聞きます。帰ったら報告を聞くのですが、皆、行く前と表情が違いますね。これから自分たちに何ができるか、どうやって平和を作っていくか、真剣に語ってくれるんです。渡辺教科書や本で読んできたこととはまるで違いますからね。最近、安保法制が改正になって、それまで政治に全然興味のなかった高校生や大学生が自主的に集まって、戦争反対を訴えています。聞きますと、東日本大震災の時に自分たちの日常生活がいかに簡単に壊されていくか分かったのだそうです。天災にするか」なのです。苦く心しんさんたん惨憺しながらもなかなかできない。原爆を作った時よりも高いお金をかけて取り組んでいました。石川町の人の話も聞かれた?渡辺いろんな人に会いました。バスケットボールをしている高校生は、揃いのジャンパーを着ていました。背中にはキノコ雲の絵が入ってる。私は足が震えましたね。原爆はいちばん強い。僕らもいちばん強いチームになりたいからだと言うんですよ。町では、劇中のいくつかの詩を英訳を添えて読みました。高校生の女の子など、原爆がそんなひどいものとは知らなかったと泣いていました。片やキノコ雲の男の子に「日本に落とした原爆をどう思う?」と聞くと、すごくいいことだったと言います。おかげでアメリカの青年たちは命を落とさなくてすんだし、日本も滅びなかったじゃないかと。本当にそう信じているんです。あるおばあさんは地図を作っていました。町では工場の風下に病気が多発しているんだそうです。おばあさんは不思議に思い、なにかのたたりではないかと、誰が白血病になり、流産し、がんになったと、すべて地図に書き込んでいました。もう、見ればあきらか。でも、それを声高に言った農家の人は孤立していました。なぜだと思います?石川なぜなんでしょうか。渡辺風下にはアメリカンチェリーの栽培地石川今も、原爆を経験して生き残った方の多くが、憲法9条こそ私たちの命だとおっしゃいます。そういうお話には非常に重みがあります。二度と戦争をしないという誓いは、まさにその方々が作った宝物だと思います。渡辺さんは長崎の原爆を作った町ハンフォードまで訪ねられたそうですね。渡辺終戦50年目の時です。アメリカ・ワシントン州のハンフォードは戦争中、原爆を作るためにできた町で、長崎に落とされた原爆のプルトニウムはここで精製されました。鉄条網で囲まれた広大な敷地に真っ黒な工場があるのですが、今はそこで何をしているかというと、「大量に作ってしまったプルトニウムをどうやって固化し、漏れ出ないよう毎年7月に行われる戦没者追悼式では、高校生が司会を務める207未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第5部未来に向かって