ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

写真で見る戦争の記憶特集4 ?戦時下の暮らし第1部戦争の長期化は人々の生活にさまざまな影響を与えます。きょこくいっ致ち「挙国一(=国全体がある目的のために一体となること)」という言葉のもとに、軍人や兵士を除いた国内の人々も「銃後」という形で後方支援を強制されました。当時の一般的な暮らしとはどのようなものだったのでしょうか。▲ソビエト連邦方面オホーツク海アッツ島蒙古満州国朝鮮日本海中華民国日本東京現在の日本の国土東シナ海英領ビルマ台湾硫黄島日本軍の最大支配領域?ハワイ諸島ミッドウェー諸島方面サイパン島タイ仏領インドシナ南シナ海米領フィリピン米領グアム島英領ボルネオ英領マライシンガポールオランダ領東インドパプアニューギニアオランダ領英領英領ソロモン諸島焼け跡を背景に笑顔を見せる子供たち(神田小川町三丁目西町会創立50周年記念誌所蔵)な日々をやりくりしていました。などに頼ったりして、空襲の続く不安りの緑地帯を畑に転換したり、代用品厳しくなります。そんな中でも昭和通なども供きょう出しゅつ対象に。生活はますます令」が発令され、お寺の鐘や家庭の鍋太平洋戦争開戦後には「金属類回収▼オーストラリア方面ていきました。がないと手に入れることが難しくなっ実施され、食品や生活用品は配給切符となりました。翌年には「配給制」が外にも重要産業への労務が国民の義務にはま「た国、民昭徴和用令14(」1939)が出され年、兵7月役以8日に悩まされるようになります。極端に減り、国全体が深刻な人手不足ていきました。その結果、成人男性が例して、徴ちょう用ようされる兵士の数も増え日本軍の支配地域が拡大するのと比人不足、モノ不足との戦い未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集20