ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

第1部写真で見る戦争の記憶昔隣組と配給麹町区隣組回報(すべて千代田区教育委員会所蔵)戦争の長期化で品不足となり、「お金があっても買い物ができない」時代がきます。そこで政府は食料や生活必需品を中心に「国民のモノの必要量」を配給切符で定めて分配することにしました。人々は「いつ・なにを・どこで・どのくらい配るか」や防空訓練の予定、行政からの案内などを回覧板で知ります。不自由な状況下で生活の基準を「隣組単位」にすることは、ヒトとモノの流れを相互に監視しあう側面もあったようです。表面衣料切符(1人:1年間に100点)あわせ国民服…32点/着物袷…48点/国民服外套…40点/小学生服上衣…17点/小学生服ズボン…5点/小学生服スカート…5点/もんぺ…10点/足袋…2点/学童用ソックス…1点など、細かく点数が決まっていました。裏面今家庭用品購入通帳衣料切符食事普段の食生活はとても質素で、食材は限られていました。そのため今ではあまり食べない植物の根や茎でさえ、工夫して大切に調理しました。昔今現在の給食(千代田区教育委員会提供)こんなに違う。疎開した児童をもてなすために作られた「赤飯」のお膳(麹町小学校所蔵)情報入手昔遠方の情報を知る手段は、新聞やラジオ、軍事郵便、回覧板や伝単(ビラ)と非常に限られていました。軍事郵便は軍の検閲が入り、黒く塗りつぶされることも。今米軍投下のビラ(千代田区教育委員会所蔵)軍事郵便(広瀬儀光さん提供)23未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集