ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ページ
45/214

このページは 未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ね。ベテランの闇商人は警察に呼び止められると、すぐに逃げて行きますから。でも、日曜日に家族の分だけを買ってくる人は警察官もちゃんと分かっていて「よし、行け」と言ってくれました。そんな時代でした。──貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、僕たち若い世代へメッセージをお願いします。戦争は悲ひ惨さんです。軍隊だけの問題ではない、一般の国民がみんな犠ぎ牲せいになってしまうんです。戦争は悲劇だということを再認識し、よく心に留とどめておいていただきたいと思います。話したのを思い出します。──終戦後の生活はどうだったのでしょうか。終戦後はとにかく物がありませんでした。特に食料は苦労しました。清きよ瀬せでサツマイモを売ってくれると聞き、母から言われて日曜日にリュックサックを背負って友達と買い出しに行きました。なるべく遠くまで歩いたほうがいいだろうと、清瀬駅から30?40分くらい離れた場所へ向かいました。農家を訪れて「サツマイモを分けてもらえるところがあると聞いて、東京の神田から来ました。お願いします」と頼む。でも、「せっかく来たところ悪いけれど、ないからダメだよ」と断られます。さらに遠くへ歩いて行きました。すると、「本当は分けられるぶんはないんだけれど、せっかく来たんだから、少しだけ分けてあげよう」と、分けてもらうことができた。もちろん、お金は払います。「じゃあ、1本余計にあげよう」ともらったサツマイモ。あれが嬉うれしくてね…。当時は統とうせいけいざい制経済といって、食料や衣料は配給でした。配給以外で売り買いするのは闇売買です。闇だとお金を余計に払うのですが、物がないときはしょうがない。それを商売にする人もいました。闇で仕入れた食料を持ってきて池袋や上野の駅で売る。そうすると、買った価格より2?3倍高く売れます。駅では警察が取り締まりをして、私もそういう闇商人と間違えられるのではないかと心配しました。けれども、警察も商売をしている人は分かるのでしょう写真左から、松崎さん、横山さん、角田さん、伊達さん配給切符制生活必需品はあれもこれも足りなくなった。それを公正確実に分配するということで切符と引き換えに配給された。東京では、昭和15年6月5日から砂糖、マッチなど各種の日用品が切符制になった。マッチの割り当ては1日1人5本、衣料は1人年間100点で背広は50点、ワイシャツは12点だった。41未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記空襲