ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

去ってやっと静かになったころ、学士会館の前の道まで出て来たら、交差点の方からとぼとぼ、とぼとぼ歩いてくる人影が見えるんですよ。それが、母でした。顔じゅうすすで真っ黒。そして「もう家はダメ。なんにもない」って吐き出すように言いました。その言葉通り、夜が明けて3人で戻ってみたら、見事に何ひとつ残っていませんでした。残ったのは鉄筋コンクリートのボイラー室と石炭小屋だけ。後は何もかも燃え尽きたっていうかね。昔のお風呂屋には、脱衣場と浴室の間に50~60センチメートルもあるような大黒柱が立っていたものなんですよ。その柱の、燃えかすひとつ残っていなかった。ただただ、茫ぼうぜん然とするばかりでしたね。1カ月半後、避難した先でふたたび空襲に──自宅を焼け出された後、どうされたのですか。青山に姉夫婦が住んでいたのですが、富山に疎開して空き家になっていた。そこへ親子3人で避難することにしました。ところがわずか1カ月半後の5月25日、世田谷から渋谷、青山、赤坂まで山の手一帯が大空襲に遭あってしまったのです。父が「外苑前の絵画館(明治神宮・聖せいとく徳記念絵画館)まで逃げよう」と言うので、またリヤカーに家財道具一式を積んで親子3人で逃げました。でも今の國學院高校があるあたりには近この衛え第4歩兵連隊があって、そうした軍の施設は集中的に爆撃されるんですよね。4月の空襲どころではない、ものすごい量の爆弾・焼しょういだん夷弾が落ちてきて、それはもう恐ろしい目に遭いました。歩兵連隊と神宮球場の間には植え込みがあって、そこに何に使ったものか、50~60センチメートルの穴がいくつもあいていました。それを母が見つけて「あそこに飛び込め!」というので、3人でバラバラの穴へ飛び込みました。歩兵連隊の建物から落ちてくる火の粉を払いながら、小さく身をかがめているしかなかったんです。今でも覚えているのは、その穴から、野球場の屋根の下につながれた軍馬が5~6頭見えたこと。歩兵連隊の馬を避難させていたんでしょうけど、馬たちだって火を見たら恐ろしいから、必死で暴れてね。兵隊さんが全身の力を込めてたづなを引いてなだめていたけど、もし植え込みの方へ駆け込んで来たらどうしようと、それも本当に恐ろしかった。誰かが袋を持ってきて、馬の頭にかぶせておとなしくさせるまで生きた心地がしませんでした。──持っていたリヤカーは?辺りが延えん焼しょうしてくると、火ひ風かぜといって、火が風を呼ぶんですね。その風でお布団を積んだリヤカーが、ひとりで散歩に行っちゃう。それを父が穴から出て引っぱり戻して、また風に持って行かれるというのを繰り返しました。そうして一面が火に囲まれると、辺りがものすごく熱くなるんです。息を吸おうにも、空気昭和20年2月25日にB29の爆撃により全焼した五ご十とお稲いな荷り神社。狐きつねの台座は、戦災により熱で黒くただれている44未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集