ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

が熱くて喉のどがカラカラに渇かわいてしまう。思わず顔を伏せたら、地面に近い空気はまだ冷たかったのね。それをすーっと思い切り吸って息を止めて。それでなんとか命がつながりました。──青山のお家は、どうなったのですか。B29が去ってから戻ってみたら、跡形もなかった。逃げる前にちょっとした家財道具や細々したものを、庭の防空壕に入れて行ったんですよ。ふたをして土をかぶせ、1メートルもあるような火ひ鉢ばちを上に乗せてね。だけど火鉢だって、こっぱみじん。防空壕の中のものも、全部焼けていました。──防空壕といえども、安全ではないんですね。ええ。いちばん悲しかったのは、教科書からノートから、ぜんぶ焼けてしまったことです。えんぴつ1本、残らなかった。みんな灰になっちゃって。あんな悲しい思いは二度としたくないし、今後も決して、あってはならないと思います。──近所の皆さんは、ご無事でしたか。焼け跡に戻ってみましたら、隣となり組ぐみの方たちに「今まで、どこに行ってたの!」と驚かれて。皆さんは青山墓地に逃げたんですって。外苑前は軍の施設があるから危ないと、地元の方はよくご存じだったんですね。私たちは、そこをめがけて突っ込んでくような逃げ方をしてしまったわけです。生きて帰って来られたのが、奇跡のようなもの。ただもう、運が良かったとしか言いようがありません。語らなかった空襲体験──そんな空襲があってもまだ、「日本には神風が吹く」と言われていたのでしょうか。ええ、政府も国民もその言葉に煽あおられていたんでしょうね。でも今考えれば、神風も大やまと和魂もあったもんじゃない。あちら(連合国側)はボタン1つで、高度何千メートルから街ひとつを焼け野原にできるのですから。精神論なんかで戦えるわけがないんですよ。東京は空襲でめちゃくちゃになっていくし、そのうち広島や長崎に「新型爆弾が落ちたらしい」と学校でも噂うわさになって。お友達と、「どうしよう、日本って国がなくなってしまうんじゃないかしら」と話したものです。原爆のことは戦後に詳しいことを知って、たいへん衝撃を受けました。一瞬に何万、何十万という方が亡くなられたと聞いて、そのことに比べれば、私たちが空襲で逃げ回った体験なんて微々たるもんだ、命があっただけありがたかったと思うようになりました。ですから私は、空襲のことは自分からあまり人に話したことがないんです。つい最近も、同年代のお友達が病院から退院したというのでお電話をしたとき、「お互いに戦争も体験して、よく生きながらえた」という話になって。そのとき「冨川さんは、戦争中どこにいたの?」と聞かれたので、「神保町と青山で、2度も焼け出されたのよ」という話をしたら、「長いお付防空壕家の床下を深く掘ったもの、庭に掘った穴を丸太と板で覆い、土を被せた「避難所」が大半。町内にも共同壕ができ、空襲警報が出ると入れられた。雨で水浸しになり、家財道具を台無しにするケースもあった。戦後は、焼け跡の壕で生活する人も少なくなかった。45未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記空襲