ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

第2部体験記空襲送を聞いた父は8月。1週間か「し10日め後たがー、っ終!戦」でとし叫たび。ま玉し音た放そしてボイラーや設備の手直しを始めたのがき集めて錦水湯を買い取ることにしたのです。した。母も最後には折れて、なんとか資金をかて、そういう考え方をするんだなあと感心しまればねぐらになるだろう」って。ああ男の人っけたって土地が残るから、掘っ立て小屋を建て沢湯は借地だったが、錦水湯は土地付きだ。焼それから毎日、大げんか(笑)。でも父が、「小だ」って。い。みんなが帰ってきたとき、どこで寝るんてくる。長女や次女が、家をなくすかもしれな父は「戦争に行ってる次男や三男もいつか帰っ買ってどうするんですか」と猛反対。けれどもけないとも限らないのに。そんなときに家をした。母は「明日どころか、今晩にも空襲で焼持ち主が戦争を避けて田舎に帰るということでんです。そこの建物は焼け残っていましたが、神田の錦きん水すい湯ゆを買わないか」というお話が来たそれを見かねてか、同業の組合長さんから「西不便も多かったでしょう。──でも、トタンと廃材の掘ほっ立たて小ご屋やではご帰ってくる家族のために新しい家をいました。る食べ物を買ってそれでしばらく食べつないでく売れましたよ。そのお金で、闇やみ市いちで売っていはもう、かわいそうで見ていられないくらいのと聞いて、母はその場で泣き崩れました。それいちばん頼りにしていたんです。それが死んだ長男が病弱だったこともあり、両親は次男を(1944)年の9月になっていました。戦病死したって公報を持って。日付は昭和19嫁ねさ。ん8が月1人20日で頃やにっなてっきてま、し焼てけね野。原兄のが神中田国へでお嫁さんも店を畳んで、田舎へ帰っていたんです呂屋をやっていました。戦争へ行ってからはお次男は、結婚して荒川区の尾お久ぐでやはりお風れたのでしょうか。──終戦後、出征していたご兄弟は戻って来ら家族14人が食べるため、タンスが空にしたんでしょうね。証拠になるものを、隠いん蔽ぺいするためにみんな燃や類を燃やしてるんだよ」って。取っておいたらに「あれは何でしょう」と聞いたら、「秘密書で赤々と何かが燃えているんですよ。近所の方たりまで出て来たら、坂の上の近衛連隊の辺りだんだん日が暮れてきて、神保町の交差点あいう思いしかなかった。外へ出ていきました。私も「ああやっぱり」とした。母は「あー、負けた負けた」と言って、ラジオは、元の小沢湯のボイラー室で聞きま──本心からの言葉だったでしょうね。よ(笑)。兄の骨袋には、骨箱の中に預金通帳が1枚入っていた昭和19年9月にお兄さんが亡くなったことを知らせる公報(電報)47未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集