ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

ないない(笑)。きっと焼けちゃったんでしょう。──福地さんの家も、焼けてしまったのですか。ええ。そこで母を待ったのですが、なかなか帰ってこなくてね。生まれてすぐの弟をおぶって逃げていましたから、すごく心配しました。そうしたら私たちから2時間くらい遅れて戻ってきて。母たちは靖国神社に逃げて、いつもは入れない本殿へ上げてもらって助かったそうです。そのとき母が大事そうに枕まくらを抱えているから、「どうしてそんなものを」と聞いたら、中にお米がぎっしり入っていたの。昔の人の知恵ってすごいわね。そうして、すぐ持ち出せる物の中に食べ物を入れていたんですよ。──でも台所も焼けてしまったのでしょう?議員会館の運転手さんの寄宿所が焼け残っていたから、そこで炊いてもらった覚えがあります。ご近所の方にもお配りして、よろこんでいただきました。それから、焼け出された人たちが避難していた九段小学校のあたりに、パンの配給が来たのを覚えています。パンだけでも、ありがたかったですよ。──町内でも亡くなった人は多いのですか。四ツ谷方面へ逃げた方は、助からなかったようです。お世話になっていたお医者さまと看護師さん、それから町内会長さんのご夫妻が亡くなって。ちゃんと火葬ができる状況でもなかったので、それぞれご自宅の庭に穴を掘って火葬にしていて…むごい光景でしたね。あれは本当に思い出したくないです。──自宅が焼けてしまってから、どこで暮らしていたのですか。祖母と弟がいた三鷹の家へ、上の弟と私で向かうことになりました。電車も動いていないから、新宿までまず歩いて。そこで大きなトラックが来て、「どこまで行くんだい」と聞かれたので「三鷹まで」と答えたら、「大変だから乗せていってあげる」と言ってくれたのです。玉ぎょくおん音放ほうそう送は、その家で聞きました。──放送を聞いて、どう思いましたか。やっと終わったのかな、と思いました。──戦争に負けて悔しいとかではなくて。まだ16歳でしたから。陛へい下かのおっしゃることを、ただぼーっと聞いていた気がします。目の前で人が焼夷弾に当たって死ぬような恐ろしい思いをした後ですから、とにかく終わってほっとしたというか。──周囲の大人たちはどうでしたか。祖母は、泣いていましたね。今の幸せを後の世代にも残したい──戦後も三鷹にいたのですか。三鷹のあたりにも進しん駐ちゅう軍ぐんが来るというので、子供と年寄りと若い娘だけの所帯では危ないと言われて。なるべく家から出ないように過ごしていましたが、麹町にも焼け跡に家を建てられ千鳥ヶ淵を見下ろす土手に、今も残る高射機関砲の台座跡52未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集