ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

写真で見る戦争の記憶特集1 ?戦争への道のり第1部私たちの日本は、どのようにして戦争へと歩みを進めてしまったのでしょうか。第一次世界大戦後から第二次世界大戦の日本の主な動きを、写真で振り返ります。ど、拠点を次々と奪われていきました。19(1944)年3月?7月インパール作戦の失敗、同年7月のサイパン島陥かん落らくな境に、形勢は逆転。昭和18(1943)年5月のアッツ島の戦いでの玉ぎょく砕さい、昭和落など、当初は順調に戦果を上げるものの、同年6月ミッドウェー海戦での大敗を昭和17(1942)年1月?2月のラバウルの戦い、同年2月のシンガポール陥洋戦争へと突入しました。が台頭する中、昭和16(1941)年12月、日本はアメリカに宣戦布告をして太平の制裁解除に向けて交渉を重ねましたがいずれも決けつ裂れ。陸軍を中心とした英・中・オランダ)包ほう囲い網もう」をはじめとした厳しい経けい済ざつい制せい裁さい強きょう硬こう論ろんを受けます。日本はそ中戦争が勃ぼっ発ぱ変から戦火は中国全土に広がり、昭和つしました。これにより日本は12(1937)国際的に孤立をしはじめ、「ABCD(米・年の盧ろ溝こう橋きょう事件によって日昭和6(1931)年に中国・奉ほう天てん郊外の鉄道爆破事件を契けい機きに始まった満州事国際的な孤立から太平洋戦争へ満州事変(昭和6年9月)南満州鉄道の線路爆破を中国軍の仕業とする日本は、兵を進めて沿線都市を制圧。昭和7年3月に満州国を建国するに至った(朝日新聞社/時事通信フォト)満州皇帝溥儀が来日。昭和天皇自らが東京駅まで迎えに行った(昭和10年4月)(昭和館提供)戦争の道へ…南京陥落(昭和12年12月)日中戦争の中で、日本は中華民国の首都・南京を陥落させた。写真はその勝利を祝って皇居前広場に集まって万歳する5万人の女学生(昭和館提供)事変処理会議を行うために集まった、当時の首脳陣(昭和館提供)盧溝橋事件(昭和12年7月)北京郊外の盧溝橋付近で演習中の日本軍に対し、中国軍から射撃があったとされ、武力衝突に発展。日中戦争へと突入した(毎日新聞社/時事通信フォト)未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集2