ブックタイトル未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

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概要

未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集

になっていました。お濠ほりのところにも防空壕が掘ってあって、いろんな人が逃げ込んでいました。中に入ればほっとした様子で、収まるのを待って、また出て戻るんです。──家が焼けた後は、どこで暮らしていたのですか。神社から靖国通りを隔へだてた、今の平安堂ビルがある隣に夫の知り合いの家があり、全員疎開しているということで貸してもらえました。授業を再開した仮校舎にも近く、便利でした。ところがここも5月25日から26日にかけての空襲で焼けたのです。裏の住宅からどんどん燃え広がり、物干し台に火がついて、夫と共に千鳥ヶ淵の内うちぼり濠の方、九段上の消防署があったあたりを目指して走りました。坂の途中に止まっていた消防車にも火がつき、燃えながらのろのろと坂下に滑り落ちていくのも見ました。夜が明けると、義父母は道路の向こう側にある昔の灯台の下にいました。六番町の義姉とは靖国神社の石いしどうろう灯籠のところで会うことができました。──それから疎開されたのですね。鎌倉に夏の家がありましたので、もうそこに行くよりしょうがないと、義父母たちは乗り合いのトラック、私たち夫婦は南新宿駅まで歩いて行き、そこから電車で和田塚駅まで行きました。夏の家は母屋と離れがあって、そこに落ち着き、夫は会社、私は仮校舎に横須賀線で通勤するようになりました。7月に入ると爆撃も激しくなり、走っている今も残る靖国神社の石灯籠57未来へつなぐバトン千代田区戦争体験記録集第2部体験記空襲